妖怪図鑑
日本の妖怪大百科
神格 
玄武
げんぶ
北方を護る四神・玄武
動物変化 中国 (四神北方守護・律令期に受容) 玄武は、四神のなかでもっとも特異な姿――亀と蛇の絡む姿――をもつ、北方・水気・冬の霊獣である。この版では、その図像の意味と、日本での四神相応の観念を辿る。 起源は天の星にある。北方七宿(斗・牛・女・虚・危・室・壁)の連なりを、蛇のからむ亀に見立てたのが玄武である。『淮南子』天文訓は北方の帝を顓頊、その獣を玄武とし、水気・冬・玄(黒)に配した。玄(黒)は水気の色であり、万物の閉じこもる北の冬天を象る。 亀蛇の姿には、二重の意味が重なっている。第一は本義――北方七宿の星の象である。第二は後漢の『周易参同契』が説く象徴で、亀(長寿)と蛇(生殖)の絡む姿を陰陽和合・牝牡とみる。後者は本義に重ねられた解釈であり、両者を混同してはならない。また玄武は道教で「玄天上帝(真武大帝)」へ人格神化したが、これは日本の方位守護の四神とは別系統の発展である。 日本では、玄武は「四神相応」の地相観のなかで、もっとも具体的に語られた。背後に山を負う地勢を玄武の吉相とするのである。ただし「平安京は四神相応の地(北の玄武=船岡山等)」という比定は、遷都当初の確証ではなく、昭和五十年頃に整理・定説化された後世の解釈であり、研究者により比定地も食い違う。確実なのは、四神相応という風水の観念が平安期に存在したことまでである。『続日本紀』の四神幡が文献上の初出であり、図像はキトラ古墳北壁の玄武に、亀蛇相絡の姿をとどめている。
伝説 
玉藻前
たまものまえ
鳥羽院寵愛の九尾狐・玉藻前
動物変化 京都府京都市・栃木県那須野 (寵愛 〜 那須退治) この版では、玉藻前が正体を暴かれ、討たれるまでの顛末に目を向ける。鳥羽上皇の病がいよいよ重くなったとき、占いを命じられた陰陽師の安倍泰成(史実の安倍泰親がモデルとされる)は、病の元が玉藻前その人であることを言い当てた。泰成が宮中で祈祷を行って追いつめると、玉藻前はついに人の姿を保てなくなり、狐の正体をあらわして都から東へと逃げ去る。 逃げ込んだ先は、下野国の那須野(いまの栃木県那須一帯)であった。野に潜んで人や家畜を害する妖狐を退治するため、朝廷は東国の武士、上総介広常と三浦介義明らを差し向ける。武士たちは野を囲んで狩り立て、ついに矢で狐を射倒したと伝わる。玉藻前を仕留めたこの武士たちの名は、源平のころに実在した坂東武者のものと重なっており、伝説と史実が地続きに語られているのがおもしろい。 物語のなかで玉藻前は、たいてい「傾国の美女」――その美しさと知恵で国の頂点に取り入り、内側から傾けてしまう者――の代表として描かれてきた。しかしその一方で、討たれたのちには祠に祀られ、神として手を合わせられてもきた。恐ろしい妖狐でありながら、どこか心を惹かれずにいられない。この二面性こそが、玉藻前を単なる悪役で終わらせず、長く愛されつづける存在にしている。
稀少 
琴古主
ことふるぬし
忘れられし筑紫箏・琴古主
付喪神・骸怪 福岡県 (旧筑紫国・忘れられし古箏の精) 石燕が『百器徒然袋』で示した標準像。筑紫箏が長年打ち捨てられ、音色を理解されぬ嘆きから霊性を帯び、夜陰に姿を現す。胴体は古箏そのもので、割れや欠けが口となり、節目が目に見立てられる。絃は切れ乱れて髪状に垂れ、わずかに掻き鳴らすだけで湿りを帯びた音を立てるという。図像上は同見開きに琵琶の付喪神「琵琶牧々」が配され、楽器妖怪の連関が意識される。伝承上の固有の名所や人物との直接的な結び付きは確認されず、器物霊観に基づく寓意的存在として理解されるのが妥当である。
名妖 
琵琶牧々
びわぼくぼく
琵琶頭の盲僧姿・琵琶牧々
付喪神・骸怪 不詳 (石燕『百器徒然袋』・琵琶の付喪神) 石燕の図像と室町絵巻の系譜に基づく標準的解釈。長年弾かれた琵琶が成霊し、座頭の装束で夜行に加わるとされる。音色は人心をひきつけ、古器への畏れと敬意を促す寓意を帯びる。特定の人物史や土地伝承に依拠せず、器物礼讃と戒めが主題。名器「玄上」「牧馬」に付随する奇談は付喪神観の背景を補強するにとどまり、琵琶牧々そのものの行状は絵画的表象として伝わる。図像では目を閉じ、杖を頼りに進み、同見開きに琴の付喪神が配される例がある。
稀少 
瓢箪小僧
ひょうたんこぞう
瓢箪頭の小僧・瓢箪小僧
付喪神・骸怪 不詳 (江戸期妖怪画・瓢箪頭の小僧) 石燕『百器徒然袋』および関連する百鬼夜行系統の図像に基づく解釈。瓢箪は水や酒の容器、あるいは祭礼で打楽器として用いられ、長年の使用を経て霊性が宿るという付喪神観に合致する。瓢箪小僧は人の姿に瓢箪の頭を備え、夜道や草むらの陰からふと現れて通行人をたじろがせる程度の所作にとどまるとされる。性質や名乗り、明確な害は史料上確定せず、同図に並ぶ乳鉢坊など器物の妖怪とともに、古道具が生命を得た寓意的存在として理解される。各地固有の口承は乏しく、主な情報源は絵画資料と後世の解説書である。
稀少 
瓶長
かめおさ
尽きぬ水の瑞兆・瓶長
付喪神・骸怪 不詳 (石燕『百器徒然袋』・尽きぬ水の瑞兆) 鳥山石燕『百器徒然袋』の図と詞書に基づく解釈。水瓶が正面を向き、口縁が口となり、胴の文様が目鼻に見立てられる。詞書は「わざわひは吉事のふくするところ」と転じ、災厄ののちに福が満ちる寓意を瓶に託す。図は本編末尾に置かれ、祝言的な結語を担うため、性質は凶よりも吉へ傾くと読まれる。近世風俗に親しい器物付喪神群の一員として位置づけられるが、独立した口承や怪異談は乏しい。後世には「汲めど尽きぬ」を能力的に拡張し、水量の増減や注ぎ分けの妙として再話されることがあるものの、原典は象徴性の強い画賛が中心で、行状譚は限定的である。
名妖 
甘酒婆
あまざけばば
夜叩きの疫病婆・甘酒婆
人妖・半人半妖 東北・関東・甲信 (寒夜の戸口巡り譚) 甘酒婆は流行性疾患の到来を象徴する来訪者として語られた。真夜中に戸を叩き、甘酒の有無を問う所作自体が禁忌の試しであり、応答は災いの媒介と理解された。人々は門口にスギ葉、ナンテン、トウガラシなどの防疫的象徴物を掲げ、声掛けへの応答を避けた。江戸各地では咳を鎮める老婆像への参詣が行われ、祈願と民間信仰が結び付いた。伝承は疱瘡流行の記憶と重なり、疱瘡神の変相とみる見解がある一方、寒夜の行商女の像を取り込み地域差を生んだ。妖怪像は「返答すれば患う」という禁忌構造、そして戸口での結界儀礼を伴って伝えられ、病の気配を知らせる予兆譚として位置づけられる。
珍しい 
生邪魔
いちじゃま
沖縄の嫉妬生霊・生邪魔
霊・亡霊 沖縄県 (琉球の嫉妬生霊) 沖縄各地で語られる生霊観の一系。恨みや羨望が高まると、本人の姿を保ったまま霊が抜け、相手に病苦や不調を与えると恐れられた。贈与による憑依、呪人形(生邪魔仏)を介した付着、さらには念のみでの取り憑きなど複数の型が報告される。被害は人のみならず家畜や畑にも及ぶとされ、共同体ではユタの祈祷や汚穢での防除、悪口による逆撫ででの排除などが実践された。系譜は女系に伝わるとも語られ、婚姻回避の対象となった事例が記録に見える。近世には行使疑惑をめぐる訴えや処罰も史料に散見される。
伝説 
生霊
いきりょう
嫉妬離魂の生霊
霊・亡霊 日本各地 (嫉妬・離魂・念が形を取る観念) 生霊の像は、怨恨による祟りと、臨終前の別れや礼参りといった穏やかな出現の二面を併せ持つ。平安の物怪観では、思いの強さが身を離れて「影」となり、寝所や輿車、門前に現れると考えられた。中世・近世には、夢中に見た景や、火の玉・抜け首としての目撃譚が離魂の証左とされた。医療観では離魂病・影の病として分類され、自分の分身を見たという証言も残る。呪詛作法の丑の刻参りは、生者が意図して念を遣う行いとしてしばし結び付けて語られるが、必ずしも同一ではない。地域伝承では名称や姿の解釈が異なり、足音を立てる人影として記す土地もある。これらは総じて「思いの凝り」が形を取る現象として把握され、死霊と対置される生者の霊的作用として語り継がれてきた。
名妖 
産女
うぶめ
赤子を抱く産死女・産女
霊・亡霊 東北・関東・九州 (産死女の霊) 産褥で亡くなった女の未練が、夜路や辻、川辺に姿を取るとされた像。近世の説話集や図会に見える描写では、腰より下が血に染み、赤子を抱いて人に子守を頼む。応じた者は、石や地蔵を抱かされていたと判明する型、代償として大力や財を授かる型、あるいは赤子に噛まれる災厄譚まで幅がある。地域差として、福島の「オボ」では布切れで注意を逸らす対処法、九州の「ウグメ」では夜明けに正体が露わになる話が知られる。江戸の知識人は中国記事に見える夜行の鳥的怪と対照し、産死者の気が妖となる理を論じた。寺社縁起では、抱き手が念仏や題目で救済し、子安・安産の信仰と結び付く。産女は恐れの対象であると同時に、子への思いを象徴する霊的存在として語られてきた。
珍しい 
画霊
がれい
破損屏風から出る女・画霊
付喪神・骸怪 京都府京都市山科区 (勧修寺家に伝わる屏風怪) 江戸後期の随筆に拠る画霊像。老いた屏風絵から女の姿が出没し、像に加えた処置が現実の怪異に反映する「像と実の連動」が核とされる。器物の劣化に由来する兆しが怪として知覚され、修復・敬護により鎮静する点は付喪神伝承の枠内に収まる。筆者は具体の地名・家名を挙げるが、怪異の目的は語られず、警告・顕現は短期的で、鑑定・修繕を境に終息する。画工の名気が霊性を強めるというより、名品を粗末にすることへの戒めが主題と見られる。人を襲う害話は乏しく、視覚的顕現と所在への回帰(屏風前で消える)が特徴。のちの解釈では、器物供養の重要性を説く例話として引用される。
珍しい 
異獣
いじゅう
越後魚沼の長髪獣・異獣
動物変化 新潟県 (旧越後国魚沼・長髪の異獣) 本バージョンは天保期刊『北越雪譜』に記された像に拠る。姿は猿類に近いが人より大きく、長髪が頭頂から背へ流れ、山中の根笹を分けて現れる。人家を襲う意図は見えず、もっぱら飯を乞い、施しに報い荷を担ぐなどの行為を示す。織の産地である越後縮の生産民俗と関わり深く、機織り娘の逸話では、家内の作業規範や穢れ観念の只中に介在し、結果として期日に間に合わせる転機をもたらす。これは山の霊的存在が人の営為を眺め、取引や生産の循環に調和を作ると受けとめられた類型で、山神・山の客人への供食の慣習とも通じる。以後もしばしば目撃されたとされるが、時とともに山に帰し、名のみ伝わる。不詳の獣でありながら、害をなさず恩を返す点で、怪異と福の境に立つ存在として地域の口伝に残る。
名妖 
疫病神
やくびょうがみ
辻越え病を運ぶ・疫病神
神霊・神格 畿内 (京畿) を中心に全国 (流行病を運ぶ神) 宮廷儀礼と民間信仰の双方で意識された疫病神の古層的像。普段は不可視で、季節の変わり目や花の散る頃に勢いを得るとされ、里の境・辻・河岸を通って入り、家々の不浄や怠りを契機として病いを広める。絵画史料では鬼形・異形が群れて行く姿が描写され、説話では旅の老人や老婆として戸口に立ち、施しや応対の作法の乱れを嫌うと語られる。対策は境の祭、祓、供饗、護符掲示、人形送りなどの共同作法にあり、特定の期日に粥や供物を設けて遠ざける風が行われた。個別の姿形や名を固定せず、土地の作法と年中行事に即して現れるため、地域差が大きいが、いずれも「境を整え、穢れを祓う」実践と結びついて語り継がれる。
伝説 
白峰相模坊
しらみねさがみぼう
崇徳の陵を護る天狗・白峰相模坊
山野の怪 讃岐国・白峰(香川県坂出市) 白峰相模坊は、八大天狗のなかでもっとも一人の人物――崇徳上皇――と固く結びついた天狗である。その像は、崇徳怨霊の物語を抜きには成り立たない。 崇徳上皇は、保元の乱(一一五六)に敗れて讃岐へ流され、帰京を許されぬまま長寛二年(一一六四)に崩じた。配流地で五部大乗経を写して都へ送るも呪詛を疑われて突き返され、激怒して血書の誓いを立て、生きながら大天狗・大魔縁と化したと伝わる。源頼朝が「日本一の大天狗」と呼んだこの崇徳の白峯陵を、相模坊は護持する。白峯寺は四国八十八ヶ所第八十一番札所、白峯陵は四国唯一の天皇陵であり、その傍らには崇徳院の霊を祀る頓証寺殿が建つ。 相模坊を不朽にしたのは文学である。その原拠は、西行に仮託された鎌倉中期の『撰集抄』「新院御墓白峰之事」で、西行が白峯の崇徳院墓を弔う説話を載せる。これを劇化した謡曲『松山天狗』は崇徳院をシテ、西行をワキとし、崇徳に随う天狗として相模坊を描く。さらに上田秋成の『雨月物語』「白峯」は、西行が白峯陵に崇徳の霊を弔い、怒れる崇徳院と対話する物語で、相模坊はこの撰集抄以来の系譜を貫く存在となった。怨霊と、それに寄り添う天狗――崇徳と相模坊の関係は、御霊信仰と天狗信仰の交わる稀有な一点である。 相模坊の出自には二説がある。『保元物語』で崇徳に味方した相模阿闍梨勝尊にちなむとする説と、相模国大山から移ってきた天狗とする説である。後者は、大山の相模坊が崇徳を慕って讃岐へ移り、空席の相模大山に伯耆坊が入ったとする知切光歳の整理した移座伝と一対をなす。いずれにせよ白峰相模坊は、八大天狗の西の果てに座し、日本三大怨霊の一・崇徳の魂を護りつづける天狗として、讃岐の白峰に伝えられている。
神格 
白沢
はくたく
万事を見通す瑞獣・白沢
神霊・神格 中国 (『白沢図』由来・江戸期に辟邪図として流布) 白沢の像は時代・典籍で相違がみられる。『三才図会』や『和漢三才図会』では白い獅子状の瑞獣として描かれ、治世の清明を象徴する。江戸の絵師・鳥山石燕は額上に眼を加えるなど多眼表現を用い、災異を見通す象徴性を強めたが、古図では通常の二眼の例もある。白沢図は辟邪絵として門戸や携行品に刷られ、旅の道中・疫病流行時に守護を願って掲げられた。皇帝行列の旗や社寺の板戸絵など権威・聖域の護符的意匠にも取り入れられ、日本では日光の社寺絵にも見ることができる。伝承は倫理と防災知の擬人化とも評され、妖異を分類し対処を授ける存在として崇められた。
名妖 
白溶裔
しろうねり
古布なびく怪・白溶裔
付喪神・骸怪 不詳 (石燕『百器徒然袋』・古布巾の怪) 詞書原文と「夢の中の徒然」という枠。出典 『画図百器徒然袋』 (天明 4 年・1784) の版本上の細部に踏み込むと、白溶裔がこの妖怪画集の中で持つ位置がさらに鮮やかに見えてくる。石燕の詞書はわずか二文で、「白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ」とある。「白うるり」が 『徒然草』のことばに由るらしい と石燕自ら告げ、続けて「夢のうちに」と結ぶ ── 同書全項を貫く「夢の中で出会った付喪神」という枠組みが、白溶裔ほど濃く体現される項は他にない。書名『徒然袋』が『徒然草』の戯けを引き受ける、その応答が一書を通じて最も澄み切る一節として、白溶裔は読まれるべきである。 上巻第 10 項 ── 「天井嘗 → 白溶裔 → 骨傘」家屋内三連。白溶裔は同書上巻 14 項目のうち第 10 番、前項が「天井嘗(てんじょうなめ)」、後項が「骨傘(ほねからかさ)」という配列に置かれる (一部の二次資料に「中巻所収」とする記述があるが、原本系統の検証では上巻が正しい)。上巻は宝船で始まり栄螺鬼で終わる構成だが、その中盤に「家屋内・身辺の朽ちた物が次々と化す」三連 ── 古い天井の塵 → 古布巾 → 古傘 ── が密に集まる。石燕は付喪神の主題を、雅な道具 (古籠火・文車妖妃) から卑近な日用品へと序列を下げてみせ、その最も卑近な位置に白溶裔を据えた。台所の隅の雑巾という、屋内で最も顧みられない物が霊を得るという落差が、この配置で立ち現れる。 「容裔」という漢語の典拠 ── 『文選』系の旗・幢。「容裔(ようえい)」は古典中国語で水波が揺れる様・風になびく軽やかな様・ゆるやかな歩み・女性の優雅な姿態という四義を持つ漢語で、典拠は曹丕『済川賦』 (「洪波の容裔」)、張衡『東京賦』 (旗・幢が風に翻る描写)、曹植『洛神賦』、左思『呉都賦』等、『文選』系統に複数の用例を持つ。とりわけ張衡『東京賦』の旗のなびく用法が、石燕の「ぼろ布が空中にうねる図像」と意味的にほぼ一致する。石燕が直接『文選』を踏まえたかは確証できないが、「容裔」という漢字 2 字を選んだ時点で、彼が漢籍の旗・幢の意味場を引き寄せていたことは明らかで、白い古布が龍体のように空をうねる図像は、まさにこの漢語の字義を絵に翻訳したものと読める。「白容裔」という複合語自体の中国古典での典拠は確認できず、石燕の和製造語の可能性が高い。 徒然草第六十段と語呂のからくり。 『徒然草』第六十段 の主人公は仁和寺真乗院の盛親僧都(じょうしんそうず)で、芋頭(里芋)を異常に好んで僧坊と銭二百貫を売り払い貪り食う奇人として描かれる。その僧都がある法師の顔を見て、「しろうるり」という綽名を付けた ── 何の意味かと問われ「さる者を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」と答えた、という挿話である。「しろうるり」は意味不詳の即興造語で、僧都が法師を貶す戯けの命名にすぎない。石燕はこれを受け、漢語「容裔(ようえい)」に独自に「うねり」という訓を当て (この訓は辞書には登録がない石燕の独自当て訓)、「しろ + ウ段の意味不明音 + リ」という兼好の音骨格を「しろ + うね + リ」に置換した。兼好の「意味不明な造語であえて法師を貶す」戯けと、石燕の「意味不明な漢語に独自訓を当てて卑近な布巾を妖怪化する」戯けが、語呂の上で二重写しになる ── これが石燕の眼目で、単なる地口を超えて「徒然草の戯けを徒然袋で受ける」書名次元の応答になっている。 山田野理夫『古ぞうきんの仇討ち』 ── 創作怪談が与えた性格。後世の脚色源として知られる 山田野理夫『東北怪談の旅』(1974) の「古ぞうきんの仇討ち」 の筋立てを具体に追うと、白溶裔が現代の妖怪事典で持つ「悪臭と粘液で人を襲う」像の出自が見えてくる。話の舞台は岩手県、藩士の下女が主人の藩士を殺害して逃げようとした際、家にあった古雑巾が下女の顔に飛びついて窒息死させる ── これが「仇討ち」の名の由来である。古雑巾は殺された主人の代わりに犯人を討つ、付喪神でありながら忠義の道具という位置づけが、ここで初めて与えられる。石燕の原典には「布巾が人を襲う」要素は一切無く、 水木しげる『図説日本妖怪大全』(1994) や村上健司『妖怪事典』(2000) を含む戦後妖怪事典が定着させた現代の白溶裔像は、山田『古ぞうきんの仇討ち』を実質的な起源としている。「妖怪界の山田起源像」 ── 民俗伝承体で書かれた創作怪談が二次資料を経て伝承化していく ── の代表的事例として、白溶裔は研究上重要な位置を占める。 現代受容 ── ギュギュと水木しげるロード。戦後妖怪百科の系譜は、 水木しげる『図説日本妖怪大全』 、村上健司『妖怪事典』、 多田克己『百鬼解読』(2002) へと引き継がれ、いずれも石燕図と山田挿話を要約する形で項を立てる。テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズには複数期で登場し、特に第 5 期では「ギュギュ」という個性的な愛称を与えられて鬼太郎ファミリーの脇役となった。1994 年放映の特撮『忍者戦隊カクレンジャー』第 11 話「ボロこそ最高!!」では妖怪白溶裔をモチーフにした怪人が出るなど、子供向けエンタテインメントの題材としても流通している。鳥取県境港市の水木しげるロードには白溶裔のブロンズ像が据えられ、観光客が日常的に名を知る妖怪となった ── 石燕の図と『徒然草』の戯けから出発し、山田の創作怪談を経て、戦後の子供番組と観光地のブロンズ像にまで届く約 240 年の経路を持つ、卑近な布巾の妖怪である。
名妖 
白粉婆
おしろいばばあ
雪夜の乞酒老女・白粉婆
人妖・半人半妖 北国雪深い地域 (戸口巡りの白粉婆) 雪の降る夜に現れ、白粉で白く見える顔と破れ笠、徳利を携えた姿で戸口に立つ。酒や甘酒を所望し、わずかでも与えられれば礼を述べて去るが、無下にされると戸叩きや呼び声で家人を悩ませる。冬季の来訪神的観念と怪異譚が交差した像を保ち、分配と応対の作法を象徴する存在として語り継がれる。
神格 
白虎
びゃっこ
西方を護る四神・白虎
動物変化 中国 (四神西方守護・キトラ古墳等に描像) 白虎は、東の青竜と一対をなして語られる、西方・金気・秋の神獣である。この版では、その天文的起源と、青竜との対構造を辿る。 起源は天の星にある。西方七宿(奎・婁・胃・昴・畢・觜・参)の連なりを虎の形に見立てたのが白虎である。『淮南子』天文訓は西方の帝を少昊、その獣を白虎とし、金気・秋・白に配した。『史記』天官書の天の西宮も同じ体系に立つ。白毛の猛虎という姿は金気の白を象り、実りと収穫、そして粛殺の気をまとう秋の西天に対応する。 白虎と青竜の対は古い。戦国初期の曾侯乙墓の漆衣箱(前四三三頃)が、二十八宿の名とともに青竜と白虎を左右に描くことは、東(青竜)と西(白虎)を相対させる四神の構図が、すでに二千四百年前に確立していたことを示す。 日本では、白虎は方位鎮護・結界の標として受け入れられた。『続日本紀』の大宝元年(七〇一)の四神幡では、白虎が西(右)に配された。固有の説話には乏しいが、四神相応の地相観のなかで西方の守りとされ、図像としてはキトラ古墳西壁に、青竜と相対する白虎がなお残る。東の竜と西の虎――この対称こそ、四神の体系の骨格である。
稀少 
百々爺
ももんじい
原野の病もたらす老爺・百々爺
山野の怪 不詳 (石燕『画図百鬼夜行』・病をもたらす老爺) 鳥山石燕の図像と付随解説を基礎とし、原野の夜更けに老爺の姿で現れる怪として整理した版。名称は児童語「ももんが」「がごじ」に由来する合成語とされ、化け物一般への恐れを人格化したものと解される。遭遇者が病むという機能は、古来の「怪異に触れると穢れや病を得る」という観念と親和的で、具体的な加害行為は示されない。近世には獣肉を忌避する習俗や言い換え語「ももんじい」もあり、名の連想が図像化を後押しした可能性が指摘される。後代の解釈には、山中に棲み町角に現れて人を脅かす、あるいは野衾が市井に出る際の姿とする見解があるが、一次伝承は限定的で、各地の民話類型に広汎な語りは確認されない。したがって、本バージョンでは「未詳」を前提に、夜の原野・霧・風の状況で遭遇しやすい情景的特徴と、病をもたらすと怖れられた点に軸足を置く。
名妖 
百々目鬼
どどめき
銭目の百々目鬼
人妖・半人半妖 江戸 (石燕『今昔画図続百鬼』・銭目の女妖) 鳥山石燕の注に拠り、盗癖を戒める教訓的意匠を核とする解釈。腕に現れる多数の目は、銅銭の穴を鳥の目に見立てた語と連関し、盗みに手を伸ばす習性が外形化したものとされる。石燕が挙げた「函関外史」は実在未詳で、箱根以東以西を示す語遊びや、奇書とする自註からも、出典提示自体が作中の趣向と理解される。百々目鬼の姿は女体に集中するが、具体の氏名・家筋・土地の伝承は伝わらず、地域的固有譚よりも、図像と語義が結びついた都市的な寓話性が強い。昭和以降の解説では読みや解釈に揺れが見られるが、原像は石燕本に求められる。
稀少 
百目
ひゃくもく
全身に眼の異形・百目
人妖・半人半妖 不詳 (全身に眼を持つ異形) 江戸末から明治期にかけて流布した多眼の鬼形図を原像とし、近代の妖怪書で性質づけられた像。強い光を嫌い、人目を避けて夜陰に潜む。人に気づくと一眼を遊離させて探りを入れるとされ、口部の不明さが不気味さを強める。伝承地は特定されず、図像の受容を通じて全国的に知られた観念的存在として扱われる。
名妖 
目目連
もくもくれん
障子一面の眼群・目目連
住居・器物 不詳 (石燕等・障子一面の眼群) 鳥山石燕の図像と詞書を基調に、荒廃した住居の障子に群集する「目」の怪として再構成。主体的に害を加えるより、凝視して人を不安に陥れる存在として描かれる。住環境の荒れや未供養の念が媒介とされるが、特定人物史や地域固有名に依拠しない一般化された家怪の系譜に置かれる。後代の採話で見られる名称の揺れや、錯視現象との結びつきにも整合する解釈を採る。
稀少 
目競
めくらべ
福原邸の髑髏集・目競
霊・亡霊 兵庫県神戸市 (福原邸・平清盛と髑髏集) 鳥山石燕の図像と『平家物語』の怪異記述を基盤に整理した像。多数の骸が結集して一体の巨髑髏となり、無数の眼窩が生者を射るごとく対峙する。個々の亡者に固有名は付さず、合一した視線が権勢者の心胆を試す相と解される。現れは黎明や静寂の庭に多く、視覚的威圧で相手の恐怖心を増幅する。対処は動揺せず見返すこと。祈祷や退散法の詳細は史料に確証が乏しく、一種の心的幻視としても語られる。戦乱・変乱の地における集団死の記憶が形を取ったものとされ、具象化は見る者の心胆に応じ大小変ずると伝わる。
稀少 
硯の魂
すずりのたましい
赤間ヶ関硯の海・硯の魂
付喪神・骸怪 山口県下関市 (赤間ヶ関・石硯の海) 石燕の画と添文に基づく解釈。赤間ヶ関の石硯は文房の佳品として知られ、平家終焉の地の記憶と結びつく。読書や写本に心を沈めた折、硯面が海辺のごとくひらけ、微細な武者群が合戦を演じると見えるという。これは硯を「海」に擬し、墨のたまる「海」に歴史の残響が浮かぶという文人的想像力の表現でもある。後代の妖怪解説では、この硯を用いると筆致が冴える、あるいは波音や語りが聞こえるとの言い伝えが併記されることがあるが、核となるのは石燕の記述と、徐玄之説話に見られる文房具上の小人兵の幻視である。付喪神としては、長年用いられた硯が霊性を帯び、持ち主の読書体験と土地の記憶を媒介して、歴史情景を顕わす存在と位置づけられる。
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