妖怪図鑑
日本の妖怪大百科
一般 苧うに
おうに
図像伝承・石燕系
山野の怪不詳(江戸の絵巻由来)苧うには実在の口承よりも、絵巻における図像の継承で認識されてきた妖怪である。佐脇嵩之『百怪図巻』(1737)の「わうわう」系図像が前段にあり、江戸後期の『百鬼夜行絵巻』(尾田郷澄、1832)では「うわんうわん」として描かれる。鳥山石燕はそれらの図像的系譜を踏まえ、毛髪を大きく誇張し、苧束を思わせる質感を強調して命名したと考えられる。名称の「苧」はからむしや麻繊維を束ねた房を指し、全身被毛の量感と直結する視覚的記号となっている。平成以降の解説では、各地の山姥が苧を績み糸を紡ぐ昔話との関連づけが進み、苧うにを山姥系の一類型として整理する立場が現れた。ただし石燕自身の意図や在地名・行状は記載がなく、特定の土地伝承へ直結させる根拠は乏しい。ゆえに、苧うには「山間に現れる毛むくじゃらの鬼女像」という図像核を保持しつつ、山間の女性労働(苧績み)にまつわる観念と緩やかに接続する妖怪として扱うのが無難である。
一般 茨木童子
いばらきどうじ
茨木童子(伝統譚準拠)
人妖・半人半妖摂津国または越後国とする説がある中世軍記・御伽草子群および近世演劇が形作った像に基づく解釈。酒呑童子の第一の腹心として大江山に拠り、頼光の奇策に遭って敗走。後日談として一条戻橋や羅城門で渡辺綱の腕斬・奪還譚が語られる。出生地や性別に諸説があるが、地域伝承では摂津・越後双方に痕跡が見られる。ここでは史料上流布の多い筋立てを骨格とし、余計な潤色を避ける。
一般 菅原道真
すがわらのみちざね
天満大自在天神
神霊・神格山城国(現・京都府)菅原道真の神格化した姿。怨霊として恐れられたのち、朝廷と民間の鎮魂儀礼を通じて天満天神として祀られた。雷神・火雷との結合、文道の守護、冤罪救済の性格を併せ持つ。縁起絵巻では黒雲に梅花が舞い、雷霆とともに示現する相をとる。祭祀では梅・筆・硯を供え、合格祈願や報恩の奉納が行われる。北野・太宰府を中心に全国の天満宮へ波及し、講社・縁日・牛との縁起など多様な信仰形態を生んだ。
一般 蓑草鞋
みのわらじ
図像伝承版
付喪神・骸怪不詳鳥山石燕の図像を基点に再構成した蓑草鞋の像。蓑は来訪神装束にも通じる遮護の象徴、草鞋は路傍の結界具としての性格を帯びる。これらが長年の使用と荒天に晒され、霊威を宿して人の世にまぎれ出た姿と解される。鍬を担ぐ所作は農作と土地神への労役を想起させ、雪中の竹林という舞台は清冽と幽邃を暗示する。行状の具体は記録されないが、夜更けにきしむ草履の音や、吹雪の中で蓑が歩む影として畏れられたと推量される程度で、害意は強調されない。近世の付喪神群像に連なる象徴的存在で、器物の寿命や労苦への畏敬を映す。
一般 藤原千方の四鬼
ふじわらのちかたのよんき
太平記伝承版・四鬼
鬼・巨怪伊勢国(現・三重県津市周辺)本版は『太平記』巻十六「日本朝敵事」に基づく。四鬼は藤原千方の麾下として機能分担が明確で、戦場で互いの術を補完する。金鬼は矢刀を受けつけぬ堅躯で前衛を担い、風鬼は烈風で隊列を乱し、水鬼は地形を選ばず濁流を呼び、隠形鬼は姿気配を絶って斥候・奇襲を司る。四鬼の強さは武略というより、言霊や祈祷に対して退く性質が強調され、紀朝雄の和歌による退散が顕著である。後代の田村麻呂伝説や熊野の退治譚では配列や活躍が変容するが、根幹は「四つの異能が合力して人事を凌駕するも、正道の詞章に伏す」という構図にある。忍法起源視は後世の解釈で、民俗学的には軍記物の鬼神譚が各地の地名説話に結びついた例と位置づけられる。創作物での変種は多いが、本版は軍記の定型を守り、地名・人物の典拠は軍記由来に留める。
一般 虚空太鼓
こくうだいこ
虚空太鼓(周防大島伝)
水の怪山口県 周防大島(屋代島)虚空太鼓は姿形をもたぬ音そのものの怪異として語られる。周防大島の浜や岬で六月頃に多く、風が変わる夕刻から夜半にかけて鳴りやすいという。地元では海鳴りや岩間の反響とも重ねて語られ、自然音と霊的な出来事が分かちがたく結びついた事例として記録されてきた。由来の口承では、かつて芸人一座の船が時化に呑まれ、救いを求めて太鼓を激しく打ち続けたが遂に帰らず、以後その季節になると海上に太鼓の響きが甦るという。音色は締め太鼓に似て軽快な連打とも、ゆるやかな宮太鼓のような大きな一打とも言い、聞き手によって表現が揺れる。凶兆視を避け、海の霊を慰める意図で手を合わせる作法が語られる地域もある。記録では具体の年次・人名は不詳で、口承の域を出ないが、海村の生活感覚に根差した音怪の典型例である。
一般 蛇王姫
じゃおうひめ
長慶寺伝承・蛇王姫
人妖・半人半妖和泉国(現・大阪府泉南市)和泉国・長慶寺の池に棲む雌の大蛇として伝わる。多数の蛇を率いることから「蛇王」の称が付され、寺の境内近くで密やかに人々を見守ったという。文政年間頃、住職・鐘山和尚の美しさに心を奪われ、迷い女に化けて寺に入り込む。和尚は挙措を怪しみ刀でこれを斬るが、大蛇は息絶える間際、長慶寺を守護することを誓って没したと語られる。以後、池辺は供養と畏敬の場となり、蛇を害さぬ戒めや雨乞い・五穀の実りを願う祈りと結びついて語られた。名称の由来や称号の序列は明確でなく、各地の蛇王(蛇王権現)信仰の影響が指摘されるにとどまる。池は後年に埋め立てられ、具体的な遺構は見られないが、地域の口承と寺伝の中にその像が保たれている。
一般 蛇骨婆
じゃこつばばあ
石燕図像準拠
総称・汎称不詳蛇骨婆は鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』(天明頃)に掲出された図像・短文解説にもとづく名称で、固有の口承地は示されない。図は蛇を纏う老女の姿で、解説では『山海経』海外西経の巫咸国に触れ、「右に青蛇、左に赤蛇」を持つ人々の説を参照しつつ、当該老女との直接の同定は「未詳」と断つ。名称自体は近世の黒本や芝居に卑罵的な老女称として見え、石燕はこの通俗語を妖怪として造形化したと考えられる。近代以降の図鑑類では、蛇五右衛門の妻、青蛇は凍らせ赤蛇は焼くといった解説が流布するが、これは石燕文言からの連想的脚色で、伝承根拠は明示されない。民俗学的には「鬼婆」「蛇女房」系譜と視覚的連関を持つが、蛇骨婆固有の儀礼・禁忌・地名は同定されていないため、学術的記述では典拠未詳を前提に扱われる。
稀少 蜃気楼
しんきろう
蜃の吐気による楼閣像(石燕系図像)
自然現象・自然霊海浜各地鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に拠る系譜では、蜃=大蛤が海辺で気を吐き、その気が空に満ちて楼台・宮闕の像をなすと解される。図像は海上に城郭や楼門が反転・伸長して漂う様を描き、しばしば蜃そのもの、あるいは龍と併記される作例も見られる。江戸後期には摺物・浮世絵の画題として反復され、見物の話柄となった。伝承は特定の地名に固定せず、越中などの海岸や干潟での目撃談が語られるに留まる。妖怪としては実体を持たず、現れては消え、人を惑わすが害は少ない存在と位置付けられる。
一般 蟹坊主
かにぼうず
蟹坊主(長源寺伝承・伝統版)
人妖・半人半妖甲斐国(現・山梨県)ほか各地甲斐国万力の長源寺に伝わる怪蟹の伝承を中核とする像。雲水の装いで夜半に堂宇へ来たり、禅林の語を借りて「横行自在」「両足八足」など蟹をほのめかす語を投げ、相手の応答で力量を計る。正体を見破られぬ間は人の姿を保つが、法具や真言で詰め寄られると甲羅を顕し、二間四方とも四メートル級とも伝える巨体で逃走する。地域には蟹追い坂・蟹沢の地名、爪痕と称する穿孔石、投擲石の伝承が残る。各地の同話型でも、無住の寺・夜更・問答・正体露見・退散(または討伐)の筋立てが共通し、狂言『蟹山伏』の影響が指摘される。信仰的には、退治に用いられた独鈷や鉄扇などの法具、観音への帰依を強調する後日譚が添えられることがあるが、細部は地ごとに異なり一定しない。享保以後に語られた形が現在の骨格とされ、明治の掛軸伝来が物語の定着を裏づける。創作的脚色を除けば、要は「化け蟹が僧を試し、法力に屈す」という教訓譚である。
一般 袋狢
ふくろむじな
図像注釈版(石燕準拠)
付喪神・骸怪江戸鳥山石燕『百器徒然袋』の図像と短文注を中核とする理解に基づくバージョン。外見は宿直袋を肩に負った女姿のムジナとして描かれるが、視点を転じれば袋こそが妖怪であり、担ぐ姿は比喩的演出ともとれる。行状は人の軽率な評定を誘い、空虚な推測の滑稽さを露わにする寓意的存在。実際の害は乏しく、夜道や座敷で「袋のものをさぐる」ように当て推量する者に遭わせ、面目を失わせる程度とされる。絵巻系譜の妖怪らしく具体的な出没年代・土地は定まらず、見立てと諧謔を旨とする。
一般 襟立衣
えりたてごろも
石燕図像準拠
住居・器物不詳鳥山石燕『百器徒然袋』の意匠を基調とした再現版。僧衣はくすんだ褐色で重ねが厚く、襟は面前に垂れて嘴めく影をつくる。手には数珠を取り、前には香を焚く具を据える。動作は緩やかで、歩むたび衣擦れが鳴り、香の匂いが淡く漂う。天狗に結びつく示唆は図像の文言にとどまり、直接的な翼や長鼻といった特徴は持たない。付喪神としての自立性を保ち、破れや継ぎ目にも意志が宿ると受け取られる。信仰具への礼を失した場所には現れず、粗略に扱われた法衣や道具の近くで兆しを示すとされるが、害をなすというより畏れを促す存在として理解される。
一般 見越入道
みこしにゅうどう
見越入道(江戸怪談記録型)
鬼・巨怪各地(主に関東・東海・信州・中国地方ほか)江戸期の随筆・怪談に見える型で、夜道に大入道が立ちはだかり、見上げる者の心胆を寒からしめる。地方によっては熱病や不慮の死をもたらす疫神視が付随し、踏み越されることを忌む。正体は明示されないが、変化の動物や器物怪の仮の姿と捉えられることもある。退散法は名指しの言、見下ろしの作法、丈を量る仕草など、恐怖に呑まれぬ振る舞いが鍵とされる。
一般 覚
さとり
伝統版・飛騨美濃の覚
山野の怪飛騨・美濃の深山(現・岐阜県周辺)石燕『今昔画図続百鬼』の記事と、和漢の博物誌的記述に見られる猿状の怪を参照した像。深山の獣道に現れ、杣人や旅人の心を即座に察して口に出し、相手の挙動を見極める。本質的に人害を好まず、危難を悟れば素早く退くという性格づけは石燕本文に合致する。民話においては、語り手の地域によって姿は猿・山男・天狗・狸などへと置換されるが、核は「心読み」と「不意の物音に退く」という二点に集約される。心読みは相手の思念を鏡のように映して反復するもので、挑発よりも警告に近い。山中の静寂で相手の気配を読み、焚火の爆ぜや木片の跳ね返りなど、人の予期しない偶発に脆い点が語られる。名称「覚」は「玃」との通仮の影響が指摘され、読みの転訛から独立の妖怪像が定着したと理解される。伝承は中部から関東・東北・中国・九州に及び、山の境界で人と異界の距離を量る存在として語り継がれた。
一般 角盥漱
つのはんぞう
画図譚・石燕本
付喪神・骸怪京都府(伝承ゆかり)鳥山石燕の画に拠る角盥漱像を基軸とする解釈。漆黒の盥の縁は角のように高く、澄んだ水面に灯影を映すと、紙に加筆された虚偽の文字のみがにじみ、やがて水に溶けて消えるという。器物の付喪神として、人の手入れと礼を重んじ、粗略に扱われた時のみ怪を顕す。自ら害をなすよりも、隠れた偽りを露にする振る舞いが語られる。能や歌学のモチーフを映すため、宮廷的な化粧道具・文具との取り合わせで示されることが多い。地方に固有の伝承は乏しく、近世の画譜・事典類に記述が見られる程度にとどまる。
一般 讃岐平家蟹
さぬきへいけがに
讃岐平家蟹(八島浦ゆかり)
住居・器物讃岐国(阿波国境に近い八島浦周辺)讃岐の浜に打ち上がる人面文様の蟹を、平家の怨霊と見る民間観念に基づく像。史料でも各地名との結び付けが示され、讃岐は八島合戦の記憶によって特に名が立つ。妖怪としては人を直接害するより、見た者に合戦の因縁を想起させ畏れを促す存在として語られる。供養や慰霊と結び付いて語られる点が特徴で、他所の呼称との差異は名のみとされる。
一般 豊後河太郎
ぶんごのかわたろう
豊後河太郎(猿貌毛羽)
水の怪豊後(大分県)豊後伝承の特徴である猿に似た毛深い体つきと、皿・甲羅・くちばしを備える姿を強調した像。水場を縄張りとし、相撲や悪戯を好むが、礼節を重んじる点を残す。供物や約定を守る相手には、流れの見分け方や用水の扱いなど実利的な知恵を授ける存在として描く。猟奇性を過度に強めず、民俗的両義性を保つ。
一般 貝児
かいちご
図像・事典系解釈
住居・器物不詳鳥山石燕の図と短い詞書を基点に、貝合わせや嫁入道具としての貝桶の来歴を踏まえて解釈する系譜。実見譚はないため、付喪神一般の枠内で、長年仕えた器物に情が宿るという民俗観を重ねる。姿は小児風で、這子人形との連想が鍵となる。夜更け、静かな座敷で貝桶の蓋がわずかに開き、幼子がのぞくように現れるとされるが、害は乏しく、家財を粗略に扱うと姿を隠すとも言われる。
一般 貧乏神
びんぼうがみ
伝統説話準拠版
住居・器物日本各地貧乏神は中世の「貧窮」の擬人化に淵源を持ち、室町期以降に名指しで語られるようになった。姿は痩せた老人で渋団扇を携える像が広く、押入れや座敷の隅に住むと信じられた。追放は容易でなく、強制より「送り」の作法が重んじられる。『沙石集』には晦夜に枝で門外へ導く例、『譚海』には焼き飯と焼き味噌を折敷に載せ裏口から川へ流す法、『日本永代蔵』には七草の夜に丁重に祀り、礼を受けて福へ転ずる筋が見える。新潟の大晦日の囲炉裏、愛媛での火を荒らす禁忌など、火と家内秩序に結び付く俗信も多い。好物とされる味噌は誘因とも禁忌とも語られ、焼き味噌を巡る作法が各地に残る。祟り神であるが、家内の勤労・清浄・倹約を整えると居づらくなるとされ、民間信仰では福神との対概念として家運の指標的に扱われた。
一般 赤舌
あかした
図像伝承・赤舌(石燕系)
総称・汎称日本各地(典拠不詳)赤舌は文字史料よりも図像が先行する稀有な例で、核となるのは黒雲から突き出した巨大な舌と獣然たる顔面である。鳥山石燕は水門上にこの像を配し、後世研究者は「淦」「垢」といった汚れの観念、口・舌を禍の門とする諺などを手掛かりに象徴的な読みを提示したが、石燕自身の注記は無い。近世の他資料では水門が添えられない場合も多く、名称が「赤舌」「赤口」と揺れる。陰陽道における太歳方位の守護名「赤舌神」や六曜の「赤口」との連関は指摘止まりで、直接の系譜づけは困難である。昭和以降には寓話的説明や地域譚が普及したが、基礎史料の記述を超える確言は避けるべきとされる。
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