猩猩の起源は中国古典の二系統伝承にある[1]。 ① 「能言獣」系統 ── 『礼記』曲礼上に「鸚鵡能言、不離飛鳥、猩猩能言、不離禽獣」 (鸚鵡は人語を発しても飛鳥の域を出ず、猩猩は人語を解しても禽獣の域は出ない、という訓戒的引用)。『爾雅』釈獣は「猩猩小而好啼」、『山海経』南山経は「招揺之山有獣焉、其状如禺而白耳、伏行人走、其名曰狌狌 (=猩猩)、食之善走」 (招揺の山に獣があり、形は猿に似て白い耳を持ち、伏せて走るかと思えば人のように走る。名を狌狌といい、食べると善く走れるようになる)。『淮南子』では「猩猩知往而不知来」 (過去は知るが未来は知らない)。
② 「酒·人血を好む獣」系統 ── 『水経注』 (酈道元、北魏 5-6 世紀) では交趾平道県の猩猩獣は「形若黄狗、又似狟豚、人面頭顔端正、善与人言、音声麗妙如婦人好女」 (黄犬のような形、また狟豚にも似て、人面で容貌端正、人と言葉を交わすに長け、音声は美しい婦女のようである)。『呂氏春秋』本味篇に「肉之美者、猩猩之唇」 (肉の美味は猩猩の唇) と美食として珍重、李時珍『本草綱目』 (1596) では交趾 (現ベトナム北部) 産で人面獣身·黄毛·酒を好む、と詳述する。
オランウータン (orangutan) や果子狸 (パームシベット) との関連は近代以降の比定論で、古典の猩猩は実在動物ではなく伝説的霊獣の合成像と理解するのが学術的に堅い (王家冰の論考、浙江大学学報·山海経研究)。ベトナム北部·交趾の南方異獣として描かれる点が、古代中国の南方·南海文化との接触圏を示唆する。
日本伝来は中世以前の漢籍·仏典経由。『和名類聚抄』 (源順、 10 世紀) が爾雅注を引いて「能言獣」と紹介、『今昔物語集』では纐纈 (こうけち、染色) 関連の話で間接的に。 寺島良安『和漢三才図会』 (1712 年成立·全 105 巻) が画期的[2] ── 「黄毛が正しく、当時日本流通の『紅髪』説は誤り」と明確に指摘しているが、にもかかわらず日本では能の影響で「赤毛·赤面」の image が定着した、という乖離が美術史·民俗学の興味深い論点である。中国本来の黄毛 (黄色) は近代以降のオランウータン (体毛が赤褐色) 比定論を経て「赤毛」と一致するかに見えるが、日本の赤毛 image は能装束から先行して定着 (室町~江戸期) し、中国の黄毛伝承とは別系統で発達した。
能『猩々』 (しょうじょう、室町期成立·作者不詳) は全五流 (観世·宝生·金春·金剛·喜多) 現行曲、五番目物·切能 (脇能扱いの祝言能) として最も親しまれる曲の一つ[3]。舞台は唐土·潯陽江 (じんようこう、現·江西省九江) ── 楊子の里 (揚子江ではなく揚子の市) で酒を商う孝子·高風 (こうふう) が、夢のお告げで「揚子の市にて酒を売れ、富栄えん」と告げられ商売を始めて成功する。高風の店に毎日通う赤面の客が「海中に住む猩々」と名乗り、月夜に潯陽江で待つと、猩々が現れて酒を飲み舞を舞い、「汲めど尽きぬ酒壺」を授ける ── 親孝行への報酬という祝言性が特徴的。典拠は『唐国史補』『楚辞』漁父辞·李白の潯陽江詩を融合した翻案で、「孝の徳が霊獣の祝福を呼ぶ」という儒教·道教的徳目を能舞台で表現する典型曲となっている。装束は赤頭 (赤い長髪·肩より長い唐人風)·赤地唐織·緋大口·赤足袋、猩々専用面 (赤彩色·目元と口に微笑·童子に近い穏やかな表情)。見せ場は「中之舞」か、小書 (特殊演出) では「乱 (みだれ)」 ── 通常の足拍子ではなく「ヌキ足·乱レ足·流レ足」で水上を滑るように舞う、高度な技で名高い。「置壺」小書では柄杓で酒を酌む所作付きで、祝言能の極致を示す。
江戸期には七福神の寿老人が福禄寿と同体異名 (ともに南極老人星=カノープスの化身) で重複するため、寿老人を外して猩々 (酒好き霊獣) を入れる変則七福神が流通した[4]。喜田貞吉『福神研究』 (1920) p.80 が「元禄の合類節用には、寿老人の代りに猩々」と一次資料を提示しており、これが学術的引用元として強い。葛飾北斎『七福神宝船』、歌川国芳·月岡芳年系統の宝船絵にも変則型 (寿老人代替の猩々) があり、江戸庶民の信仰体系の柔軟性を示す。
名古屋市緑区 (旧鳴海宿)·有松·東海市では江戸中期から続く「猩々」大人形祭礼が伝承される[5]。旧東海道·知多街道沿いに伝播し、鳴海八幡社祭礼の安永 8 年 (1779) 円光庵『鳴海祭礼図』に既に登場する。赤い猩々人形 (高さ 2-3m) が子供を追いかけ、叩かれると夏病·疫病にかからないという疫除信仰 (赤色=疱瘡除けの民俗と接続) を持つ ── 古代中国の疱瘡神を赤色で祓う民俗と、日本の赤色辟邪信仰が結合した稀有な例。富山県氷見市·射水市では海上に身長 1m 程度で出現する小柄な猩々の口承、山口県屋代島では船幽霊変種「樽をくれ」型 (海中から船に近づき酒樽を求める) として伝承される、など全国各地に在地伝承が分布し、統一像を持たない多様性が特徴。
「猩猩緋 (しょうじょうひ)」は赤紫みの強い深紅 (#CE313D 近辺) の色名で、能『猩々』の赤装束に由来する[6]。「猩々の血色」と俗称されたが、実際の染料はコチニール·ケルメス (中南米~地中海の介殻虫由来) であり、「猩々の血」は俗説に過ぎない (これは民俗学的に重要な訂正)。室町末~江戸初期にポルトガル·スペインの南蛮貿易で輸入された羅紗 (毛織物) に染色された猩々緋羅紗は、信長·秀吉·家康らの陣羽織·南蛮甲冑で珍重された。小早川秀秋着用の「陣羽織 猩々緋羅紗地違鎌模様」 (東京国立博物館蔵·重要文化財) が代表的遺品で、 e 国宝·文化遺産オンラインで写真確認可能。江戸期は幕府が商人から押収するほどの希少品で、武威·権威の象徴色だった。
現代では宮崎駿『もののけ姫』 (1997) で「森の賢者」として登場、木を植えて森を再生させようとするが人間に追いつかず、サンに「人間食わせろ、人間の力欲しい」と請う複雑な存在として再解釈された ── 能の祝言的猩々から大胆に展開した現代解釈で、アニメ·宮崎駿論で深く分析されている。水木しげるロード (境港市) にも「麒麟獅子と猩猩」のブロンズ像があり、ゲーム·ライトノベル·妖怪図鑑·モンスター系作品 (例: モンスターハンター系統·ポケモン·スマブラ等) で安定した登場頻度を保つ妖怪である。ショウジョウバエ (Drosophila、酒に集まる性質から命名)·ショウジョウトンボ (赤い体色)·ショウジョウバカマ (赤い花) 等の生物名にも猩猩の赤色イメージが継承され、古代中国伝説が現代日本生物学命名にまで影響を残す稀有な妖怪である。
妖怪設定
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妖怪タイプ - 伝統妖怪
カテゴリ - 動物変化
レアリティ - 稀少
性格 - 明るく陽気で酒を愛する性格。海上や潯陽江に住み、月夜に現れて舞う神秘的でありながら愛らしい異獣。親孝行な人間には汲めど尽きぬ酒を授ける気前の良さ。
相性 - 酒造業·飲食業·能楽·歌舞伎·伝統芸能関係者と高相性。 親孝行の徳·子供の健康·疫病除けを願う者にも (有松·東海市の猩々文化)。
能力・特技 - 汲めど尽きぬ酒壺能の乱 (みだれ) 舞·水上を滑る舞人語を解する能力赤毛=疱瘡除けの神威夏病·疫病除け (有松猩々人形)孝子への報酬授与
弱点 - 酒に酔いやすく·飲み過ぎると本性を露わにする。「黄毛が本来·日本の赤毛は能由来」という起源の二重性。
生息地 - 中国·潯陽江·交趾 (古典)·能舞台·有松·東海市の祭礼·全国各地の在地伝承 (富山·山口等)·猩猩緋染色文化·宝船絵·現代アニメ。
