伯耆国は、いまの鳥取県西部にあたる旧国である。上位の鳥取県の妖怪事典では、境港、水木しげる、海の怪、大山の山岳信仰をまとめて扱っている。このページでは、その大きな鳥取像のうち、伯耆だけに焦点を絞る。海へ開く弓ヶ浜と、雲をまとって立つ伯耆富士・大山。そのあいだに、七尋女房という巨女の影が立つ。
七尋女房は、出雲・隠岐・伯耆にかけて語られる巨大な女の妖怪である。隠岐では女房ヶ石と結びつく具体的な石の伝承があり、出雲沿岸では黒い歯で笑う女として現れる。伯耆では、青白い顔で米や小豆に触れる歌を口ずさむ女、あるいは古木の下で首を伸ばす七尋の女として語られる。伯耆国の妖怪文化は、ここで山陰の広域伝承を受け取りながら、山と川と古木の気配へ変えている。

七尋女房
七尋女房は、島根県東部および隠岐諸島、鳥取県伯耆地方に伝わる巨大な女の妖怪。名の「尋」は長さの単位で、身の丈または首が七尋に及ぶとされる。山道や海辺に現れて笑いかけたり、石を投げる、洗濯の所作を見せるなどして人を惑わす。地域により容貌や振る舞いは異なり、美貌の物乞いとされる例から、黒い歯と乱れ髪の怪女として語られる例まで幅がある。
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鳥取県の妖怪を語ると、どうしても境港の現代妖怪文化が大きく見える。水木しげるロードは、二十世紀以後の日本における妖怪復興の象徴であり、県全体の記事では避けて通れない。だが伯耆国だけを見るなら、焦点は少し奥へ移る。港町の妖怪から、山陰の山道、川筋、古木、村境へ。目立つ観光の妖怪ではなく、土地の暗がりで姿を伸ばす妖怪へ向かう。
伯耆の地形の中心には大山がある。環境省は、大山隠岐国立公園の特長として、中国地方最高峰の大山を標高一七二九メートルの山とし、北壁・南壁の急崖、ブナの自然林、風衝低木帯などを挙げる[1]。山は単なる背景ではない。海から見える大きな山は、道を歩く人の距離感を狂わせ、夜の雲や霧の中で、普通の人間より大きなものを想像させる。
大山寺の公式サイトは、同寺を奈良時代養老年間、金蓮上人による開山と紹介する[2]。環境省の解説でも、大山は古くから信仰の対象であり、大山寺や大山道の参詣文化が語られる[1]。つまり伯耆は、海と山のあいだに人の道が走り、寺社と村と峠が結ばれた国だった。七尋女房のような巨女譚は、この「見上げる山」と「通り過ぎる道」のあいだで読むと、急に輪郭を帯びる。
旧国としての伯耆は、東の因幡よりも大山の存在感が濃い。国名を思うだけで、まず山の大きな影が浮かぶ。その影は、神聖なものを呼び寄せるだけでなく、夕暮れの道で人を不安にもする。巨女の伝承が伯耆で語られる時、彼女の大きさは単なる奇形ではなく、山の大きさを人の姿へ翻訳したものとして響く。
七尋という尺度
七尋女房の「尋」は、両腕を広げた長さをもとにした古い尺度である。七尋という名は、単に背が高いというより、人間の身体を基準にして、その基準を何倍にも引き伸ばした怪異を指している。村上健司『妖怪事典』は七尋女房を、島根県東部・隠岐・伯耆地方に伝わる巨女の妖怪として整理している[3]。
この妖怪のおもしろさは、地域によって姿が一つに固定されない点にある。隠岐では、山道で石を投げ、斬られて石になる女房ヶ石の伝承がある。出雲沿岸では、長い髪と黒い歯で人に笑いかける女として語られる。安来では、七尋もある衣を引く美しい女とされる。伯耆では、青白い顔で米や小豆に触れるような歌をうたう女、または古木の下で首を伸ばす女として伝わる[4]。
同じ「七尋女房」でも、隠岐では石へ、出雲では海辺の笑いへ、伯耆では米・小豆・古木へ寄っていく。この差が、旧国の記事として重要である。伯耆の七尋女房は、岩そのものに封じ込められた伝説というより、暮らしの音と山里の影の中に現れる。米を搗く、豆を扱う、木の下に立つ。どれも生活のすぐ隣にある行為や場所だが、そこに「七尋」の尺度が入ると、日常は急に人間の背丈を超えてしまう。
出雲・隠岐から伯耆へ
七尋女房を伯耆だけの妖怪として囲い込むと、かえって姿を誤る。彼女は山陰を横に動く妖怪である。出雲国から隠岐国、そして伯耆へ。日本海側の土地は、海路、山道、参詣、婚姻、商いによって互いに結ばれてきた。巨女譚もまた、一つの村に閉じた話というより、場所ごとに姿を変えながら伝わったものと見るべきだろう。
隠岐の女房ヶ石は、七尋女房の伝承の中でも特に物証めいた強さをもつ。怪女が斬られて石になった、あるいは石仏の首が落ちたといった話は、見ることのできる石へ伝承を結びつける。これに対して伯耆の話は、石の記念物よりも、山里の場面に寄る。青白い顔、歌、米や小豆、古木の下で伸びる首。そこには、目に見える遺物よりも、夜に聞こえる声や、木陰で見た気がする姿の強さがある。
この違いは、伯耆という土地の位置とよく合う。伯耆は出雲の神話圏と因幡の白兎神話圏のあいだにあり、背後には大山を抱く。山陰の広域伝承を受け取りつつ、それを大山の麓や日野川筋の風景へ沈めていく。七尋女房は、伯耆で「山陰の巨女」から「伯耆の道で出会うかもしれない女」へ変わる。
大きすぎる女は何を示すか
巨女の妖怪は、しばしば境界に立つ。山と里、川と田、海辺と集落、昼と夜。七尋女房もその一種である。彼女は人間に似ているが、人間の尺度を超えている。女房という名は家庭的で近い。しかし七尋という大きさは、近づけないほど遠い。この近さと遠さの矛盾が、伝承の不安を生む。
伯耆の伝承で米や小豆が出ることは象徴的である。米も小豆も、村の暮らし、食、祭り、供え物に関わる。そこへ青白い顔の女が触れる、あるいは歌う。生活の中心にあるものが、少しだけ異界の手に触れられる。七尋女房は人を食う怪物として派手に暴れるのではなく、暮らしの内部へ、異常な大きさだけを差し込む。
古木の下で首が伸びるという伯耆の話も同じである。古木は、時間が人間より長く積もった場所であり、村境や道端のしるしにもなりやすい。そこに人間の女の姿が立ち、首だけが常識を外れて伸びる。山の高さ、大木の年輪、人の背丈。この三つの尺度が重なったとき、七尋女房は単なる大女ではなく、土地そのものの大きさを人の姿へ移した怪になる。
伯耆国の記事としての七尋女房
伯耆国の直属妖怪は、現時点で七尋女房一体である。だからこのページは、妖怪の数で勝負する記事ではない。むしろ一体の妖怪を通して、伯耆が山陰の中でどのような位置を占めるかを読む記事である。県全体の鳥取記事が境港と水木しげる、大山、海の怪を横断するなら、伯耆国の記事は、その大山の影の側に身を置く。
七尋女房は、山陰の広い分布をもつため、出雲や隠岐の記事でも扱いうる妖怪である。だが伯耆では、石化譚の強さより、山里の生活感が前に出る。これは弱さではない。むしろ、伯耆の妖怪文化が「歩いていると気配が増える」型であることを示している。遠くの霊山を見ながら、足元には米や小豆や古木がある。そのあいだに、女の背丈がふっと伸びる。
上位の鳥取県の妖怪事典へ戻れば、七尋女房は鳥取妖怪文化の一部として、海坊主や小豆洗い、境港の現代妖怪文化と並ぶ。けれど伯耆国だけを切り出すと、彼女はもっと静かで、もっと大きい。伯耆富士の山影が長く伸びる夕暮れ、山道と川筋と古木のそばに、人の尺度を超えた女が立つ。その姿こそ、伯耆国の妖怪事典の入口である。