奥日光、標高千四百メートルの高地に広がる戦場ヶ原。四百ヘクタールに及ぶ高層湿原で、今は木道を歩く人々が四季の草花を楽しむ、静かな景勝地である。だが、その名は穏やかではない ──「戦場」。
この地はかつて、二つの山の神が、麓に横たわる中禅寺湖の領有をめぐって死闘をくり広げた、神々の戦場であったと伝わる。男体山の大蛇と、赤城山の大百足。なぜ神々は、この高原で戦ったのか。本稿は、戦場ヶ原に刻まれた神戦の物語をたどる。
奥日光の「戦場」
戦場ヶ原は、栃木県日光市の奥日光に広がる、約四百ヘクタールの高層湿原である[1]。男体山の噴火がせき止めた湖が、長い年月をかけて湿原へと姿を変えた地で、今は日光国立公園を代表する自然景観として知られる。眼下には、同じく男体山の噴火が渓谷をせき止めて生まれた中禅寺湖が広がり、その水は華厳の滝となって流れ落ちる。男体山は古くは二荒山(ふたらさん)と呼ばれ、日光信仰の中心であった ──「日光」の名も、この二荒(にこう)が転じたものとされる。神聖な山と湖に抱かれたこの地は、神々の物語の舞台にふさわしい霊域であった。
だが「戦場」という物々しい地名は、この穏やかな風景にそぐわない。その由来を語るのが、「戦場ヶ原神戦譚」と呼ばれる伝承である。男体山の神(二荒神)と赤城山の神が、中禅寺湖の領有をめぐって激しく争った ── その戦いの「戦場」こそが、この高原だったというのである[1]。神々が大地を揺るがして戦った跡が、今に「戦場ヶ原」の名を残している。
大蛇と大百足の戦い
神戦譚で語られる両者の姿は、いずれも巨大な異形であった。男体山の神は大蛇となり、赤城山の神は大百足(大蜈蚣)となって戦った[1]とされる(諸説あり、姿が逆に語られることもある)。

다이자
다이자(大蛇)는 신격을 띤 거대한 뱀의 총칭으로, 각지에서 산이나 호수의 주인, 수신(水神)으로서 두려움과 숭배의 대상이 되어 왔다. 특히 오쿠닛코(奥日光)의 센조가하라(戦場ヶ原)에 전해지는 신들의 전쟁 이야기에서는 시모쓰케국(下野国) 난타이산(男体山, 후타라산)의 신이 다이자로 화신하여, 고즈케국(上野国) 아카기산(赤城山)의 신이 화신한 대지네(大百足, 오무카데)와 아름다운 주젠지호(中禅寺湖)의 영유권을 둘러싸고 다투었다고 전해진다. 뱀은 물과 재생을 상징하며, 허물을 벗고 되살아나는 불사성과 똬리를 튼 모습의 신성함으로 인해 용으로 이어지는 수신의 화신으로서 고대부터 신앙을 모아 왔다. 산의 신이 뱀의 형상을 취한다는 관념은 일본 각지에 널리 퍼져 있으며, 센조가하라의 다이자는 그 대표적인 예이다.
자세히 보기水を司る龍蛇の神と、山を這う百足の神。大百足と大蛇という取り合わせは、各地の伝説に見られる宿命の好敵手である。近江の三上山の大百足を俵藤太が退治した物語でも、助けを求めたのは龍神であった。蛇と百足 ── 水と山、それぞれの霊力を体現する二匹が、中禅寺湖という豊かな水をめぐって相争う。神戦譚は、二つの霊山がそれぞれの神の力を競った、領土争いの神話的な記憶なのである。
猿丸太夫の弓
戦いは、男体山の神に不利に傾いた。劣勢を覆したのが、一人の弓の名手であった。男体山の神が苦戦するなか、弓の名手·猿丸太夫(さるまるだゆう)が加勢し、赤城山の神 ── 大百足を射た[1]という。人の力が神々の戦いの帰趨を決するというこの筋立ては、神と人とが近しく交わった、古い時代の世界観をよく伝えている。猿丸太夫は、三十六歌仙の一人に数えられる伝説的な歌人と同じ名をもつが、両者の関わりは定かでない。日光にはこの弓の名手をめぐる伝承が各所に残り、神の戦に人が加わったという物語は、土地の人々が神々の争いを我がことのように語り継いできたことを示している。
猿丸太夫の加勢によって、男体山の神は勝利を収めた。中禅寺湖は男体山の神のものとなり、敗れた赤城山の神は、傷を負って退いたと伝わる。神が人の助けを借り、人が神の戦に加わる ── 戦場ヶ原の物語は、神話と人の歴史が地続きであった時代の名残をとどめている。
敗れた赤城の神
戦いに敗れた赤城山の神は、どうなったのか。赤城山の伝承では、神戦に敗れた赤城の神は、上州·老神(おいがみ)温泉でその傷を癒したと伝わる[2]。「老神」の名は、この「追われた神」に由来するとも語られる。神に敗れて傷ついた者が温泉で癒えるという筋立ては、各地の開湯伝説にも通じる。荒ぶる神もまた傷つき、癒しを求める ── そこには、神を人と地続きの存在として捉える、素朴な感覚が息づいている。
赤城大明神は、関東一円に約三百社を数える赤城神社に祀られる山の神である[2]。その姿は神戦譚では大百足とされるが、一方で「赤城山三姫物語」では、沼の龍神に助けられた赤城姫が、のちに赤城大明神になったという女神の伝承も伝わる[2]。荒々しい大百足の神と、優美な赤城姫の女神。一つの山の神が、敵対する物語のなかでは恐ろしい異形として、自らの山の物語のなかでは慕わしい女神として語られる ── 神の姿が、語る者の立場によって裏返るのである。
神戦の、
その底に
戦場ヶ原の神戦譚は、単なる荒唐無稽な作り話ではないかもしれない。この一帯は、古代に有力な豪族が割拠した「毛野(けぬ)の国」の中心であり、実際にこの地で戦乱があった可能性も指摘されている[1]。
二つの霊山の神の戦いという神話の底には、上野(群馬)と下野(栃木)── かつての毛野の国を分かった人々の、領土をめぐる現実の争いの記憶が、横たわっているのかもしれない。神々の戦いとして語り継ぐことで、人は土地の境界の由来を、壮大な物語へと昇華させた。今日、戦場ヶ原を訪れる人の多くは、整備された木道をたどりながら、夏に咲くホザキシモツケの群落や、遠くそびえる男体山を眺める。かつてここが神々の戦場であったことを思わせるものは、ただ「戦場ヶ原」というその名だけである。だが、その名が千年を越えて残されてきたこと自体が、この地に刻まれた記憶の深さを物語っている。静かな湿原に残る「戦場」の名は、神話と歴史が溶け合った、奥日光の深い記憶の証である。敗れた赤城の神の物語は、対岸の赤城山へと続いていく。栃木県全体については栃木県の妖怪事典も併せて読まれたい。
