妖怪図鑑
日本の妖怪大百科
一般 一本だたら
いっぽんだたら
紀伊・熊野伝承準拠
山野の怪紀伊国(熊野)を中心とする山間部紀伊・熊野から奈良にかけての記録に基づく一本だたら像。姿は一つ目一本足と語られるが、実見例は少なく、降雪後に残る大きな単跡が出現の証とされる地域が多い。最も著名な特徴は十二月二十日の出現で、この「果ての二十日」は山の神や道の禁忌と重なり、山入りを慎む日として機能した。鍛冶との連関では、たたら吹きが片足で踏鞴を踏み、片目で炉を見る所作から隻脚・隻眼の姿になったと民俗学的に説明されることがある。また、伯母ヶ峰の系統では猪笹王という鬼神と同一視され、かつて峰を脅かしたが僧に封じられ、年に一度だけ解かれるという語りがある。熊野・厳島などでは「姿は見えず足跡のみ」とされ、恐れつつも直接の加害は限定的と語られる例もある。各地の一本足譚(雪入道・雪坊など)と習合・混同が見られるが、本項は熊野・奈良筋の要素を骨格とし、忌日と単跡、鍛冶起源説という三点を中核に据える。
一般 七人同行
しちにんどうぎょう
伝承集成版(四国型)
霊・亡霊讃岐国(香川県)四国に分布する七人列の亡霊譚を束ねた像。核心は「七人が一列で無言で進む」「四辻・夜道・雨の夕刻に現れる」「遭遇は凶事の兆し」という三点で、地域によって名称や出現時刻、装束が異なる。讃岐では姿は人並みだが、通常は不可視で、牛の股から覗くと感得できるという呪的視点が付随する。丑三つ時の四辻に限定して現れる型は「七人童子」と呼ばれ、通行が絶えた特定の辻が語り継がれる。雨中に蓑笠で現れる「七人同志」は、処刑者の霊と結びつけられ、遭遇後の気鬱を祓う民間の対処として箕で扇ぐ所作が伝わる。徳島の首切れ馬に随う七人童子は、供養の地蔵建立により影を潜めたとされ、災厄が供養で鎮められるという地域信仰の枠組みを示す。同類の七人ミサキとの混称もあるが、土地ごとの名称差と機能(疫・祟り・遭遇忌避)の範囲を踏まえ、七人同行は「列行する七霊」という外形的特徴で識別される。
一般 七尋女房
ななひろにょうぼう
伝承集成版
人妖・半人半妖出雲地方・隠岐地方・伯耆地方七尋女房は出雲・隠岐・伯耆に広く分布する巨女譚で、山道・河辺・浜辺など境の場に出没する。姿は場所により変化し、海士町では乱髪で嘲笑し石を投げる強面の怪、島根沿岸では黒い歯を見せる海風の女、安来では長衣を曳く美貌の乞食女、伯耆では青白い顔で穀を歌いながら研ぐ影女として語られる。共通するのは異様な長さ(身丈または首)と、笑い・所作・歌などの「しるし」によって人を引き寄せる点である。退散譚では刀傷と石化が結びつき、奇石・塚・古木など土地の目印が由来とされ、家宝の刀や馬具を伝える家筋の話も付随する。恐怖譚一辺倒ではなく、美貌・施しを乞う姿や、穀を研ぐ音と結びつく素朴な怖れが重なるのが特色で、境界の不安と対処(目を合わさぬ、声に応じぬ、夜道を避ける)を教える民俗教訓を内包する。近世奇談の長面妖女と類型的に比較されるが、七尋女房は主として山野・海辺の在地信仰景観と結びつく点に民俗的特徴がある。
一般 七歩蛇
しちほじゃ
伝承準拠・七歩蛇
動物変化山城国・京都東山『伽婢子』の記事を骨子とし、京都東山の屋敷に関連して出現する小さな龍蛇として整理する。龍に似るが神格化はされず、地中や石下に潜み、庭木の枯損や庭石の破砕といった異常の兆しを伴って顕れる。毒性の強さが最大の特徴で、咬傷後すぐに致命に至るという伝えは、古来の猛毒蛇伝承や畏怖観念と通じる。目撃は稀で、群れて現れる怪蛇の発生に続き、最後に七歩蛇が本体として露わになる型が語られる。容姿は四足・立耳・赤鱗に金の縁取りという吉凶混在の色彩で、屋敷の衰運や地の怪異の象徴と解されることが多い。民俗的には山麓の石や古庭の管理不全と結びつけられ、近在の者は石を動かす際に祈りを捧げて禍を避けたという。
一般 三味長老
しゃみちょうろう
石燕図会版
付喪神・骸怪江戸鳥山石燕の『百器徒然袋』を典拠とする図像的伝承に基づく解釈。長年の使用で魂を帯びた三味線が、法衣風の衣や杖を思わせる意匠で老僧めく姿に擬せられる。諺「沙弥から長老にはなられず」の語呂と、芸道は段を踏むべしという教訓が重ねられ、器物を粗略に扱う戒めも含意される。月岡芳年の錦絵に類像が見られ、後世の妖怪事典では付喪神の代表例として紹介される。固有名の個体怪談は乏しく、主に絵画・版本を介して広まった系譜に属する。
一般 三目八面
さんめやづら
伝承準拠・土佐山申山譚
人妖・半人半妖土佐国(土佐郡土佐山村高川・申山)本バージョンは土佐国土佐山村高川周辺に残る申山の怪異譚に基づく整理である。三つの目と八つの顔という異相以外は容貌が語られず、遺骸の巨大さのみが強調される点に特徴がある。通行人を襲う山の魔として位置づけられ、在地の有力者による山鎮めと火による退治が物語の核をなす。祓具である御幣が火勢の中で残存したと伝えられ、その痕跡として地名・伝承地名(鎮め石・鎮め所)が言い伝えられる。多頭の蛇に関する同地域の説話群との連想はあるが、直接の同一視は避けられており、三目八面の本体は不詳とされる。山の境界を越える者への禁忌、火と祓いによる鎮静という民俗的主題が読み取れるが、物語の細部(年代・人物比定・儀礼の具体)は伝承上明確ではない。
一般 不知火
しらぬい
八朔の親火導き
水の怪肥後国八代海・有明海沿岸「八朔の親火導き」は、不知火のうちでも旧暦八月一日の未明に姿をそろえる格の高い変種である。海岸から数キロ沖にまず一つ、あるいは二つ、里人が親火(おやび)と呼ぶ赤みを帯びた灯が差し、そののち両翼に割れて子火を増やし、やがては百千の火が横一線に列をなす。列は四里から八里にも伸びると語られ、海面に近い浜では見えず、潮風を受ける十間ほどの高みや岬の上からよく映る。引き潮が最も深く息を引く刻、すなわち三つ時を中とした前後二刻に、炎の息は最も揃い、遠見の者は波の裏にひそむ龍の鱗のような明滅を知るという。火は追えば退き、寄れば遠のく。舟を出して掴まえようとすれば、水脈の影ごとするりと身をかわし、ただ進路だけを指し示して近づくことを許さない。古き記に景行の御舟が闇に包まれた折、遠前にこの親火が現れ、舳先を向けしめて岸へ導いたとある。それゆえ里人は、誰が灯したともしれぬ火ゆえの名を畏れ敬い、八朔の夜半には網手を止め、櫂を休め、火の列がほどけるのを待つ習いを守った。親火導きは、荒ぶる龍神の気配と結び付けて語られるが、人を損なうことは好まず、むしろ驕りと拙速を戒める。浅はかに利を急ぐ船は、火の列に惑って沖を彷徨い、やむなく帆を畳む。対して、潮の言葉を聞く者は、浜の松に登って火の呼吸を確かめ、灯の切れ目とともに静かに出る。すると、沖の瀬は思いのほか穏やかで、帰り路には岸影に残り火が揺れ、舟を迎えるという。親火は、里の者が「千灯籠」「竜灯」と唱えて手を合わせるほどの清冽さを湛えるが、人が名を荒く呼び立て、笑い囃すと、列はたちまち乱れ、浜霧となって散る。火は風に煽られて大きくはならず、潮の脈に従ってのみ増え減りする。ゆえに、岬や築山などの高所からは整った帯のごとく見え、波打ち際からは見えない。親火導きは、海辺の社の注連の向きや灯台の火色をも変えると伝えられ、夜、注連縄がわずかに海側へ撓むとき、遠き沖で火の群れが生まれはじめる徴とされる。これを知る古老は、若船に「今日は潮が退き、火が出る。出漁を慎め」と諭す。親火は、人の手の灯と異なり、燃え滓も煙も残さぬ。ただ夜明けの一刻、干潟の貝殻が薄紅に光り、葦の穂先に露が火の名残を宿すという。そうした朝には、村人は浜に塩を撒き、火に導かれた命への感謝を告げる。親火導きは、畏れと礼を知る者には道を開き、思い上がる者には遠ざかり、海と人との境を静かに引き直す怪火である。
一般 不落不落
ぶらぶら
石燕図版準拠
付喪神・骸怪不詳鳥山石燕『百器徒然袋』に拠る像解を基準とした不落不落の整理。提灯は竹に結び、裂けた紙を口のように見立て、傾いで路上に迫る。背景には田の畦やかかしの情景が連想され、詞書は「山田もる提灯の火」と述べつつも「狐火なるべし」と夢想する。これにより正体を狐と断ずる説と、器物変化とみなす説が併存するが、当該巻が器物妖怪の部に編まれる事実から、付喪神としての理解が妥当とされる。名称表記は画面内に「不々落々」、目録に「不落々々」と揺れがあり、一般には不落不落の字が通用する。固有の土地伝承や具体の祟り譚は伝来せず、提灯お化け一般像の一亜型として受容され、夜道で人を驚かす視覚的怪異に留まると解される。
一般 丑の刻参り
うしのこくまいり
伝統儀礼像
霊・亡霊京都府(貴船信仰)ほか各地の神社周辺丑の刻参りの典型像を、江戸期に整えられた作法を中心にまとめたバージョン。白装束に長髪を乱し、鉄輪(五徳)を逆さに戴いて三本のろうそくを灯し、胸に鏡を下げ、一本歯の下駄で足音を殺しつつ社頭へ向かう。御神木に相手の名を籠めた人形を当て、五寸釘を夜ごと打ち込む。刻限は丑三つ時が厳密とされ、七夜で満願と語られる。見咎められれば効力が失せるため、道中から口を噤み、足跡や痕跡を残さぬ配慮が説かれる。絵画資料では黒牛が随伴する図像があり、最終夜に現れたそれを跨げば成就、畏れ退けば失敗とする伝承が付随する。藁人形の使用は近世以降に一般化したと見られ、源流には古代の人形代刺しや陰陽道の形代祈祷がある。民俗的には呪いの実在を断定せず、禁忌の破りや露見によって無効化されるという構図が語り伝えられてきた。
稀少 九尾の狐
きゅうびのきつね
九尾の狐(神話像)
動物変化全国九本の尻尾を持つ神狐の姿。金色に輝く毛皮と青い瞳が印象的。稲荷神の使いとして神格化された最初の姿。千年の知恵を蓄え、人間の心の機微を深く理解している。時には人間に化けて恋をし、深い愛を教えることもある。
一般 九頭竜
くずりゅう
戸隠・九頭龍大神
神霊・神格信濃国戸隠・越前国九頭竜川流域戸隠山の九頭龍大神は、調伏を経て善神化した水神として祀られる。中世記録に見える「学門」による調伏善龍化譚が核で、のち九頭龍権現として雨乞いの本尊となり、社人・修験の法礼に組み込まれた。供物に梨を好むと伝え、歯痛平癒の霊験や縁結びの信仰も近世以降に広まる。神像・蛇体・龍体の表象は伝承期によって異なり、岩戸・湧水・渓谷と結びつく。地域の水源守護・農耕安定の象徴であり、荒ぶる要素は鎮魂と祭祀によって和らげられるという理解が定着した。越前方面の黒龍・白龍の伝承と混交せずとも、水神としての機能は共通し、雨・川の増減と民生に関わる。
一般 二口女
ふたくちおんな
二口女(怪異譚準拠)
人妖・半人半妖江戸江戸の奇談に即し、後頭の口が本体の空腹を増幅させる型。表の口は少食を装うが、背の口が髪を操って器を引き寄せる。周囲の食を盗み食いするため家内不和の因となり、家計や恥を巡る語りとともに伝えられた。視覚表現では、結髪の間から牙の生えた口が覗く図が通例で、音や匂いに敏いとされるが、人前では巧みに隠す。
一般 五徳猫
ごとくねこ
図像伝承・石燕本位
動物変化不詳本バージョンは、鳥山石燕の原図と先行図像を基準に再構成した五徳猫像である。二股の尾を持つ老猫が器物の五徳を冠のように戴き、囲炉裏の縁に佇む。石燕は『百器徒然袋』で器物怪と動物怪の境界を遊び、注で『徒然草』の「五徳の冠者」を引き、語呂をもって解釈を与えた。これにより、五徳猫は単なる化け猫ではなく、道具と文芸的典拠が結びついた象徴的存在として位置づけられる。室町の『百鬼夜行絵巻』に見える五徳を戴く妖怪は、器物を頭上に載せた群像の一つであり、石燕はその系譜を継ぎつつ猫相を与えたと見られる。昭和以降に広まった「自ら火を起こす」像は、図中の火吹き竹の表現から派生した後年の推測で、古記録に具体の所行は明示されない。従って本位では、囲炉裏辺で現れて火の気配とともに目撃される存在として抑制的に捉える。
一般 人面樹
にんめんじゅ
図会伝承・石燕意匠版
自然現象・自然霊不詳(典拠上は大食国に在ると伝える)江戸期の博物図譜的記事を基盤とし、石燕の画意を踏まえた像。山谷に叢生する樹で、枝先に人面に似た花をつける。花は人語を解さず、呼びかけや物音に応じて笑みを浮かべるとされる。笑いが重なれば花弁は力を失い、やがて萎れて落ちる。日本では異国奇談として受容され、在地の地名や逸話の具体性は伴わない。花の表情は老若さまざまで、風に揺れて歯を見せ笑う姿がしばしば図像化される。実体は不詳で、植物の精か、希代の異木として記録的に扱われ、恐怖よりも稀観として語られた。
一般 付喪神
つくもがみ
付喪神(伝統叙述)
住居・器物畿内を中心とする中世日本室町期の絵巻群に基づく像を要とする。器物は長年の使用で霊性を帯び、粗末に捨てられると怨みを抱き騒擾する。しかし仏法の力や祈祷、改めて大切にされることで心を和らげ、守護的に振る舞うとも解される。数値としての百年は象徴的で、時間の堆積による霊威化を物語的に表したものと見なされる。図像は人形・鬼形・獣形など多様で、五徳・盥・銚子など生活具の変化がしばしば挙げられる。近世以降は呼称の伝播が薄れるが、百鬼夜行の行列像の中で器物の妖が継続して描かれ、道具観と無常観を映す主題として受容された。地域固有の名付けは定まらず、語の出典は主に『付喪神絵巻』と古注の語釈に限られる。創作的付会は避け、道具を惜しみ敬う心を説く教訓譚として伝えられる。
一般 以津真天
いつまで
以津真天(古典像)
動物変化滋賀県・比良山周辺以津真天は夜の闇に溶け込むように現れ、黒や紫の妖気をまといながら飛翔する。翼は異様に大きく、眼は妖しく輝き、見る者に強烈な不安を与える。その声は「いつまで…」と人語のように響き、聞いた者の寿命を告げるとされた。 災厄や戦乱の前に出没するとも言われ、人々に畏怖と畏敬を同時に抱かせた。
一般 件
くだん
江戸後期・瓦版本の件
人妖・半人半妖日本各地(主に丹後国・越中国の伝承)江戸後期、瓦版・版本を通じて流布した件像。人面牛身で、出現ののち予言を述べ、まもなく絶命するとされる。天保期の瓦版には丹後出現譚が見え、豊凶や厄除の効験が強調され、件の図像を掲げることが推奨された例もある。一方、越中国立山の「くたべ」は1820年代以降の記録に現れ、女面や老人面、鋭い爪、胴体に目が描かれるなど像容に幅がある。両者は予言・疫病除けの効用を語られる点で通底し、災厄期に流布が増す傾向が指摘される。証文末尾の定型句「件の如し」と怪物「件」を同一由来とする俗説は、語の歴史(中世以前の用例)から否定的に見られる。民俗的には、出現・告知・短命・図像護符化という定型が核であり、具体の地名・年代や効験の内容は史料により異同が大きい。
一般 件
くだん
倉橋山護符告示の件
人妖・半人半妖日本各地(主に丹後国・越中国の伝承)倉橋山護符告示の件は、天保の飢饉を境に与謝郡の山間から現れたと伝えられる版で、半牛半人の姿ながら面相はやや若く、額広く眼はうるみ、口許はわずかに上がる。牛の身体は痩せて肋が浮くが、背に朝露のごとき白斑が散り、これが年の兆しを示す印とされた。出現は多く夜半から曙の間、山裾の田の畔、あるいは村境の祠前に限られ、見届け人はたいてい用足しや夜回りの者である。件は三度までしか言葉を発しない。その第一に「疫の路(みち)」を告げ、どの方角から病が入り、何月に強まるかを定める。第二に「貼り図の作法」を詳らかにする。すなわち自らの像を片紙に描き、戸口内側の梁、または米俵の上に北向きで貼ること、墨は新しい煤、紙は前年の秋祭りで供えた半紙を用いること、家ごとに一枚までとすること。第三に「年の相」を述べ、豊凶と屋内の守りごとを短句で遺す。語り終えるや、件は田畔の草を噛み、首を垂れて息を細め、日の出までに力尽きる。村はその体を山根へ運び、土を浅く掛け、上に笹一枝を挿す。七日を経て掘り返すと骨は柔らかく、爪のみ硬く残り、これを筆軸に差して護符の縁をなぞれば、厄が家外へ流れるとされた。護符の図様は定型があり、人面の額中央に一筋の縦皺、牛身の肩に三つの白点、尻尾は二股で左へ流す。図様を誤れば効験薄く、特に尻尾を右へ流すと病方角が逆転して災いを招くと恐れられた。件はまた、「貼り替えの時」を一年に二度、麦秋と霜月朔に限ると教える。図を描く者は手を塩で清め、夜は灯を弱く、声を交わさず描写し、描き終わりに「ただし此の家のみならず、隣里にも及ぶ」と小さく記す。これを守る家は家内の争い少なく、田の虫害も軽いという。倉橋山の件は、吉兆と疫災除けを併せて告げる点で予言獣の典型に近いが、商いの利得や戦の勝敗には触れず、あくまで家内と田畑に限って言葉を置く。倉橋山の瓦版には、件の像を蔵や土間に掲げれば「穀蔵の湿り退き、病気戸口に留まらず」とあり、遠村へ伝える際は写しを三夜のうちに回すべしと記される。写しが遅れると効果が萎むとされ、村々で夜走りの若者がこれを担った。後世、証文末尾の語を件に結びつける話も交じるが、この版では禁じ手とし、護符文言にその語を用いると効験を損なうと戒める。姿を見た者は一時熱にうなされるが、七日の後に軽くなり、以後三年は大病を避けるという。件の短命は世に長く留まらぬ誓いゆえで、土へ返るほどにその言は深まると伝えられる。
珍しい 件
くだん
牛の子・託生予言版
人妖・半人半妖日本各地(主に丹後国・越中国の伝承)この「牛の子・託生予言版」の件は、人牛の雑貌をもって生まれながら、母牛の胎より出るや即座に人語を操り、己が名を「くだん」と称すよう求める。出自は人家の牛舎、あるいは山裾の放牧場に限られ、野に忽然と現れる型とは区別される。顔は若き女面から痩せた老人面まで揺れ幅があるが、いずれも瞳は潤み、瞠目せずに聴き手の胸を射抜くように据わる。産声の代わりに短い嘆息を洩らし、まず母牛を屠るなと諭すのが通例で、続けて七年ほどの豊熟と家内の繁昌、あるいは流行病の退散を告げ、八年目に兵乱や凶変の影が及ぶと明言する。予言の終わりには自らの短命を淡然と述べ、三日を出でずに絶えると伝える。死骸は土に浅く納むれば禍を防ぐとし、見世物とすれば家門に陰が差すと戒める。されど、好事家により剥製や絵像として留められる例も古く、瓦版や記録書にその姿を写すことは、むしろ護符の役を果たすと容認する。託生予言版の言は、作柄や疫の流行、旱魃、戦雲といった広域の事象に限られ、個人の吉凶を問うときは黙して応えない。これは言の重さを汚さぬためで、無用の占筮と同列にならぬよう、聞き手の分別を試す作法でもある。予言が真となるほど、母牛は翌年以降も健やかで、家の牛馬は災に逢いにくいと伝える。一方、託生の刻を冗談視して騒ぎ立てれば、件は舌を噛み血を滲ませ、言葉を閉ざすとされる。姿を絵に写す際は、角は短く、首は太く、胴は仔牛の丸みを留める。脚は四、尾は藁縄のように細長く、蹄は小さい。額に渦毛が一つあり、そこへ墨印を押して家内に掲げれば、七年の間は火難盗難を避けると信じられた。生まれ落ちてから三日までのあいだ、夜更けに一度だけ外を見たがる。月の出にあわせて裏戸を少し開け、北東を向かせれば、言は濁らずに伝わるという口伝がある。件は己を神と称せず、ただ「世の移ろいを先に知る身」と名乗る。ゆえに供物は簡素がよく、塩一撮みに清水一椀で足りる。死後は藁筵に包み牛舎の隅、または田の畦の高みに葬る。雨に濡らさぬよう笠を伏せれば、家筋に穀の運が残るといわれる。伝承の主な土地は海辺の関所町や山裾の薬採りの路の近傍で、旅人が入り混じる境の里ほど出現が多い。これは、世の気配が集まりやすく、件がそれを読み取るためと解されている。
一般 倩兮女
けらけらおんな
石燕図譜準拠
霊・亡霊不詳本項は鳥山石燕の図像を基軸に、近代以降の妖怪解説書に見られる通俗的説明を最小限で補った整理版である。石燕は楚の宋玉の逸話を引証し、塀越しに艶然と笑う女の姿を淫婦の霊に比した。図譜自体は性質・害の程度・消滅法などを詳らかにせず、姿態と由来連想のみを示す。後世の解説では、人気のない路上で一人にだけ届く乾いた笑い声が強調され、恐怖・羞恥・不安を煽る心理的怪異として語られる。実害は多く記されず、驚愕・立ちすくみ・失神程度にとどまると説明される場合がある。出没は特定地域に限定されず、都市の塀際・辻・垣根越しなど視界の遮蔽がある場所が想定されるが、典拠は明示されない。従って本バージョンは、石燕の図像的提示を核に、笑いによる惑乱という機能を付随要素として扱うに留める。
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