京都市の北西にそびえ、比叡山とならんで都を見おろす愛宕山(あたごやま)。標高924メートル、山城国と丹波国の境に立つこの山は、古くから二つの顔をもって人々に仰がれてきた。
一つは、火災から人々を守る「火伏せ(ひぶせ)」の神の山。そしてもう一つは、日本を代表する大天狗·愛宕山太郎坊(あたごやまたろうぼう)が君臨する、天狗の霊山という顔である。火を防ぐ神と、火に通じる天狗 ── 相反する二つの力を一身に宿すこの山の信仰を、本稿はたどる。
京の北西に立つ霊山
愛宕山は、京都市右京区の北西部、山城国と丹波国の国境に位置する標高924メートルの山である。京都を取り巻く山々のなかで、比叡山とならんでひときわよく目立ち、古来、信仰の山として知られてきた[1]。
東に比叡山、西に愛宕山 ── この二つの霊峰は、平安京を守護する山として、対をなして仰がれてきた。比叡山が天台仏教の総本山として「学問と鎮護」の山であったのに対し、愛宕山は「火伏せと天狗」の山として、より民間の信仰に深く根ざしていく。都の西北、すなわち裏鬼門に近い方角にそびえるその姿は、人々に畏怖と崇敬の念を抱かせた。愛宕山の開山は古く、修験道の祖·役小角(えんのおづの)や、白山を開いた泰澄(たいちょう)が開いたとも伝えられる。神仏習合のもと、本地仏として武運を司る勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)が祀られ、この信仰は、のちに戦国武将たちの崇敬をも集めることになる。
火伏せの神
愛宕山の名を全国に知らしめたのは、何よりも「火伏せ」── 火災除けの霊験である。
山頂に鎮座する愛宕神社は、古来より火伏せの神として京都の人々の信仰を集め、その信仰は全国へと広がった。愛宕神社は、全国に約九百社あるとされる愛宕神社の総本社である[1]。木造家屋が密集し、ひとたび火が出れば大火となる都の暮らしにおいて、火を防ぐ神への祈りは、何にもまして切実なものであった。
愛宕神社が授ける「火迺要慎(ひのようじん)」の御札は、火除けの護符として、京都をはじめ各地の家々の台所に貼られてきた[1]。とりわけ毎年七月三十一日から八月一日にかけての「千日詣(せんにちまいり)」は名高く、この日に参拝すれば千日分の火伏せのご利益があるとされ、今も多くの参拝者が夜を徹して山を登る。千日詣の夜、山上の社へと続く道は、参拝者の提灯の灯りが数珠つなぎとなって、闇のなかに一筋の光の帯をなす。「愛宕さん」の名で親しまれたこの火伏せ信仰は、火を扱う職人や商家を中心に、江戸をはじめ全国の町へと広がっていった。
天狗の棲む山
火伏せの神の山は、同時に、天狗の棲む霊山でもあった。

天狗
天狗は、日本の山岳に棲むとされる妖怪にして神格的存在であり、修験道の山伏と分かちがたく結びついてきた山の主である。その姿には大きく二つの系統がある。ひとつは赤ら顔に高い鼻、山伏の装束をまとい羽団扇と一本歯の高下駄を具えた鼻高天狗、いまひとつは鴉のくちばしと翼をもつ烏天狗で、さらにその下に木の葉天狗・木っ端天狗といった下位の眷属が連なる。古くは鳶(とび)のごとき鳥の姿で観念されたものが、中世を通じて長鼻の山伏像へと固まっていった。 天狗は仏法を妨げる魔でありながら、調伏されれば仏法を護る護法神に転じる――この両義性が天狗の本質である。慢心した高僧が堕ちて天狗になるという観念は、仏教の説く「天狗道」と結びつき、鎌倉末の絵巻にも風刺として描かれた。一方、山岳信仰のなかでは山の守護者・武芸と法力の達人として畏敬され、修行者を試し、あるいは導く存在とされた。京都の鞍馬山や愛宕山をはじめ、諸国の霊山にはそれぞれの大天狗が座すと伝えられ、近世の『天狗経』はその総数を四十八に数え上げている。
詳しく見る愛宕山は古くから修験道の行場であり、神仏習合の信仰が色濃く根づいていた。深い山中で修行を積む山伏(やまぶし)たちの姿は、いつしか、超人的な力をもつ天狗のイメージと重ね合わされていく。険しい峰々、鬱蒼たる森、そして俗世から隔絶された霊気 ── 愛宕山は、天狗が棲まうにふさわしい、すべての条件を備えた山であった。こうして愛宕山は、京の天狗信仰の一大中心地となっていったのである。天狗には、鼻の高い大天狗と、嘴(くちばし)をもつ烏天狗(からすてんぐ)とがあるとされる。山伏の装束をまとい、自在に空を飛び、神通力を操る天狗たちは、人智を超えた山の霊力そのものの化身であった。愛宕山には、その頭領たる大天狗を筆頭に、無数の天狗が棲むと信じられてきた。
大天狗·愛宕山太郎坊
愛宕山に君臨する天狗の主こそ、名高い大天狗·愛宕山太郎坊である。

愛宕山太郎坊
愛宕山太郎坊は、山城国の愛宕山に座す大天狗であり、諸国の天狗を統べる総帥・四十八天狗の筆頭として「日本一の大天狗」と称される。別名を栄術太郎(えいじゅつたろう)とも伝える。烏天狗の眷属を従え、比良山次郎坊ら諸坊を率いる天狗界の長と位置づけられてきた。 その名が早く現れるのは鎌倉期の軍記『源平盛衰記』巻八で、同書は太郎坊の正体を、弘法大師の秘法を相伝した高弟・柿本紀僧正こと真済(しんぜい)が、驕慢のゆえに天狗と化したものと説く。愛宕山はまた火伏せ・盗難除けの霊山であり、本地を勝軍地蔵とする愛宕権現の信仰と習合して、太郎坊は火難を除き武運を授ける験者としても語られた。
詳しく見る愛宕山太郎坊は、日本を代表する大天狗の一柱で、各地の名だたる天狗を挙げる「八天狗(はちてんぐ)」の一つに数えられる[2]。鞍馬山の僧正坊(そうじょうぼう)などと並び称される、天狗界の最高位の存在である。八天狗には、愛宕山太郎坊のほか、鞍馬山僧正坊、比良山次郎坊、飯綱三郎、そして相模の大山に住む大山伯耆坊(ほうきぼう)などが数えられる。なかでも太郎坊は、「太郎」すなわち長子·筆頭を思わせるその名のとおり、別格の威をもつ大天狗として知られた。神通力をもって愛宕山一帯を支配し、修験者たちの守護者とも、ときに人を試す試練の主とも語られてきた。太郎坊の名は、天狗の代名詞として、今なお広く知られている。太郎坊はまた、愛宕山で修行する者を導き、その覚悟を試す存在ともされた。天狗に見込まれることは、修験者にとって、超人的な力を得ると同時に、厳しい試練を受けることでもあったのである。
火を防ぎ、
火を操る
興味深いのは、愛宕山が「火伏せの神」の山でありながら、その天狗·太郎坊が、しばしば「火」と結びつけて語られる点である。
平安末期の安元3年(1177年)、京を焼き尽くした大火は「太郎焼亡(たろうしょうぼう)」とも呼ばれ、これを愛宕山太郎坊の仕業とする説も伝えられた[2]。火を防ぐ神を祀る山の主が、逆に大火を起こすともいわれる ── この一見矛盾した両義性こそ、天狗という存在の本質をよく表している。天狗は、人に恵みをもたらすと同時に、畏れるべき荒ぶる力でもあった。火を鎮める神と、火を操る天狗を同居させる愛宕山は、自然の力に対する人々の、畏怖と祈りの両面を映し出しているのである。武運を司る勝軍地蔵の山であったことから、愛宕山は武将の信仰も集めた。天正10年(1582年)、明智光秀が本能寺の変の直前に愛宕山へ参籠し、連歌の会「愛宕百韻(あたごひゃくいん)」を催したことは名高い。火と武、そして謀叛の影さえも、この山の歴史には刻まれている。
火迺要慎、
今も
愛宕山の信仰は、千年を越えて、今も京都の暮らしに息づいている。
京都の料理屋や家庭の台所には、いまも「火迺要慎」の札が貼られ、人々は火の用心を、この山の神に託しつづけている。夏の千日詣には、老いも若きも提灯を手に夜の山道をたどり、火伏せの加護を願う。火を防ぐ神への祈りと、天狗の棲む霊山への畏れ ── その二つが分かちがたく結びついた愛宕山は、都の北西から、今日も静かに京の町を見守っている。京都の妖怪と信仰の全体像は京都府の妖怪事典も参照されたい。
