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Kuma River Basin 河童たちの故郷。球磨川流域の妖怪事典

九千坊と九千の眷属、ガラッパ・ひょうすべ。河童王国の源流をたどる

河童たちの故郷。
球磨川流域の妖怪事典

Kuma River Basin

Aussi appelé: 八代
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日本三大急流のひとつ、球磨川。鹿児島・宮崎との県境に切り立つ九州山地のただなかに、ぽっかりと開けた人吉盆地から流れ出し、深い谷を激しく下って八代の海へ注ぐこの川は、ただ水量の豊かな川ではない。日本における河童伝承のもっとも濃い土地、いわば河童たちの故郷なのである。

この川には、九千匹の河童を率いた王が生まれたと伝わる。九千坊である。やがて彼らは肥後の領主に追われ、川を捨てて遠く筑後川へと去っていった ── 河童王国の興りと流転の物語が、この流域を貫いている。さらにこの地では、同じ河童が場所と季節によってガラッパ、山童、ひょうすべと名を変える。球磨川流域は、九州の河童文化の一大中心地であり、その呼び名の地図がもっとも複雑に折り重なる土地でもある。盆地の歴史と急流の地形をたどりながら、なぜここが河童たちの故郷になったのかを読み解いていきたい。

熊本県全体の妖怪文化については熊本県の妖怪事典に譲り、ここでは球磨川という一本の川と、その上流の人吉盆地に視点を絞る。

日本三大急流・球磨川という土地

球磨川は、富士川・最上川と並んで日本三大急流のひとつに数えられる[1]。鹿児島・宮崎の県境に連なる九州山地に四方を閉ざされた人吉盆地に発し、巨岩のひしめく谷を縫って八代平野へと一気に下る。中流域はかつて、人吉から八代まで急流と岩礁が続いて舟をやるのも難しかったが、江戸期に相良藩の御用商人が舟路を開削して以降、球磨川は外との物流をつなぐ幹線となった[1]。いまも観光の球磨川下りとして、その急流の名残を木船で体感できる。

この閉ざされた盆地を、ひとつの大名家が驚くほど長く治めた。相良氏である。建久四年(一一九三年)に地頭としてこの地に入った相良氏は、四方を山に守られた地の利を生かして外敵を拒み、戦国の世を生き延び、江戸時代を経て明治維新までこの地を領した ── 日本史でも稀な「相良七百年」と称される長期支配である。隠れ里のように外と隔てられたこの盆地で、球磨独自の言葉と文化、そして妖怪の呼び名がはぐくまれた。九州のなかでも人吉球磨が突出して濃い河童伝承を残すのは、この地理的な孤立と無縁ではない。

急流と深い淵は、人を呑む。淵に沈んだ水死者の記憶は、水辺の見えざる主への畏れ ── すなわち河童信仰の苗床となった。人を引き込む川であればこそ、その川には主がいると人々は考えた。球磨川が急流であることと、この流域が河童の故郷であることは、地つづきの事実なのである。盆地に閉ざされた土地では、語りは外へ拡散せず、内へと深く沈殿する。相良七百年のあいだ、人吉球磨で繰り返し語られた淵の主の物語は、こうして他のどこよりも濃密に堆積していった。

河童たちの故郷 ── 球磨川という水のゆりかご

Kappa

KA-pa

Le kappa compte parmi les plus célèbres de tous les yokai japonais. On le dit installé partout où il y a de l’eau : rivières, étangs comme marécages. Il a la taille d’un enfant de quatre ou cinq ans, porte au sommet du crâne une coupelle (sara) emplie d’eau, une carapace sur le dos, un bec en guise de bouche, et des mains et des pieds palmés. Son corps tire sur le vert ou le rouge, et on lui prête parfois une odeur de poisson. Cette coupelle est la source même de sa force : si l’eau vient à se renverser ou à sécher, on croit que le kappa perd aussitôt toute sa puissance. De là vient la ruse bien connue qui consiste à saluer profondément un kappa pour que, lui rendant la politesse, il déverse l’eau de sa coupelle et puisse être capturé. Le kappa a deux visages. L’un est redoutable : il entraîne hommes et chevaux au fond de l’eau et leur ôte la vie. L’autre est scrupuleux : il tient parole avec rigueur, raffole de sumo, et transmet parfois de merveilleux remèdes pour ressouder les os. Présent dans tout le pays, il y porte plus de quatre-vingts noms régionaux : Garappa, Medochi, Enko, Hyosube, et bien d’autres. Parmi tous les yokai du Japon, rares sont ceux qui plongent des racines aussi profondes dans la vie locale.

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河童は人の尻子玉を抜き、胡瓜を好み、子どもや馬に相撲を挑む ── 全国の河童と共通するこうした性質を、球磨川流域では「ガラッパ」「ガワッパ」の名で語ってきた。馬を川へ引き込もうとして失敗し、逆に捕らえられて詫び証文を書かされるという駒引き譚も、この水の国には濃く根づいている。

なぜ球磨川がこれほど河童に満ちた土地になったのか。その答えは、この流域が上流の盆地から下流の河口まで、性格の異なる水辺をひとそろい備えていることにある。上流の人吉盆地では、田を潤す用水路や深い淵に山あいの河童が棲み、中流の急峻な谷ではその淵ごとに主が語られ、下流の八代では河口の港に大陸からの渡来譚が結びついた。ひとつの川が源流から海まで多様な水辺を抱えるからこそ、河童はひとつの姿にとどまらず、場所ごとに名と性質を変えて棲み分けた。球磨川は、河童という想像力を育てる水のゆりかごだったのである。

その故郷の中心で、九千匹もの河童を統べる王が生まれたと伝わる。球磨川の河童文化の核は、この一族の盛衰の物語にある。

九千坊 ── 九千の河童を率いた王の流転

Kyūsenbō

kyou-sen-bô

Kyūsenbō (ou Kusenbō) est le grand chef légendaire qui, dit-on, commande tous les kappa de Kyūshū. Selon le Honchō Zokugenshi de l’époque d’Edo, il était un kappa qui mena son clan depuis le fleuve Jaune en Chine, débarqua à Yatsushiro en Higo et s’établit sur la rivière Kuma ; comme le clan s’éleva à neuf mille, son chef prit le nom de Kyūsenbō (« le chef des neuf mille »). Pour la forme, il ne diffère en rien d’un kappa ordinaire et ne porte aucune apparence singulière. Ce qui distingue Kyūsenbō, ce n’est pas son aspect, mais son rang de chef gouvernant neuf mille kappa à travers Kyūshū. Il détient une puissance capable de troubler toute une province, et reste pourtant sans recours devant le singe, l’ennemi naturel du kappa — la double nature du kappa, à la fois redoutable et craintive, portée à l’échelle d’un clan entier. Il est connu aussi pour un récit de rédemption : plus tard il gagna la rivière Chikugo et passa d’un démon nuisible aux hommes à un familier du dieu de l’eau, protégeant les gens des crues.

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江戸中期の地誌菊岡沾涼『本朝俗諺志』(延享三年・一七四六年)は、河童がはるか中国の黄河から一族をなして海を渡り、肥後・八代の球磨川に住み着いたと記す。やがて川に増えた河童は九千匹に達し、その首領が九千坊と呼ばれるようになったという[4]。八代市本町、前川橋のたもとの徳渕(とくぶち)が上陸の地とされ、中世にはここを「徳渕津」と呼んで大陸や南方の船が出入りした実在の良港であった。海の彼方から異形が訪れるという物語が、この港の記憶から立ちのぼったのは自然なことだろう。

この九千坊の物語は、ここで終わらない。むしろ球磨川を去ってからが、河童王国の本筋である。肥後を治めた加藤清正との確執には、二つの語り口が伝わる。ひとつは、清正の愛する小姓が川に引き込まれて溺死し、激怒した清正が河童の天敵である猿を九州じゅうから集めて攻めさせたという猿狩り版。いまひとつは、川に毒を流して河童を追い詰めたという版である。いずれにせよ、攻め立てられた九千坊は本拠の球磨川を捨てざるを得なくなった。

追われた九千坊が新たな住処に選んだのが、筑後川である。久留米藩主・有馬氏から「人畜に害をなさぬ」ことを条件に居住を許された九千坊はその恩に報いて久留米水天宮の眷属となり、領民を水害から守ると誓ったと伝わる。注意したいのは、九千坊は水天宮の祭神そのものではなく、その使い・眷属とされる点である。さらに有馬家が水天宮を江戸日本橋の蛎殻町へ勧請したとき、九千坊の一族も隅田川へと移り住んだとも語られる。

ここで肝心なのは、この大移動の物語が、球磨川を「失われた故郷」として位置づけている点だ。久留米の河童たちは筑後川の主として今に祀られ、田主丸の悟真寺に伝わる契約では、鐘が淵とめぐり渕のあいだで子どもが泳ぎ紙漉きの人が働いても決して命を取らないと河童が誓ったと語られる[5]。だが、その久留米の河童の出自はいつも「もとは球磨川にいた」と語られる。九州各地に散った河童伝承が、その源流をこの一本の川に求めている ── 球磨川流域が河童文化の中心地と呼ばれる根拠は、まさにこの「すべての河童はここから出た」という流転譚にある。

退治され追われた妖怪が、よその土地で水神の眷属へと昇華していくという結末は珍しい。多くの妖怪譚は退治されて終わるが、九千坊はそうではなかった。本拠を追われてなお一族を率いて移動し、新たな川を治め、ついには水神の使いとして人を守る側へと立場を変える ── この長大な物語の弧は、九千坊の伝説が、球磨川の河童をいかに格の高い、いわば王のような存在として語ってきたかを示している。故郷を追われた王の流転という構図そのものが、この流域の河童に独特の風格を与えているのである。

ガラッパとひょうすべ ── 河童の呼び名の地図

球磨川流域の河童には、ほかの土地にはあまり見られない著しい習わしがある。季節をめぐる移動と、それにともなう呼び名の変化である。

人吉球磨で河童を指すガラッパは、一般の河童と違って手足が長く、座ると膝が頭より高くなり、全身に毛があって後ろ足で立って歩くとされる。八代から人吉球磨にかけての熊本県南部、さらに鹿児島県本土まで、河童をガラッパと呼ぶ文化圏が広がっている。このガラッパは、夏のあいだ川に棲むが、秋の彼岸になると山へ入って山童(やまわろ)となり、春の彼岸にふたたび川へ下りてガラッパに戻るとされた。

この交替を、人吉球磨では独自の言葉で語る。川に棲むあいだは「川ん太郎(かわんたろう)」、山に入れば「山ん太郎(やまんたろう)」と呼び分け球磨郡では二月一日の「太郎朔日(たろうついたち)」にこの二者が入れ替わるという。同じ存在に二つの名を与え、その境目を暦の一日に定めるという発想は、この地の人々が河童を自然の一部としてどれほど精緻に観察し、暮らしの時間割のなかに組み込んでいたかを物語る。山に入った山ん太郎は木こりの山仕事を手伝うこともあるが、約束した酒や握り飯を必ず求め、違う物を出されると怒って姿を消すとも伝わる。

柳田國男は、この山と川を往復する性質を、農耕暦に従って去来する田の神と山の神の信仰の反映と読み解いた。春に山から下りて田を見守り、収穫を終えると山へ帰る神 ── その去来の型が、河童の季節移動にそのまま重なる。河童は単なる水の怪ではなく、稲作の季節そのものと結ばれた存在だったのである[8]。米どころの人吉盆地でこそ、この読みは実感をもって理解できる。

Hyōsube

hyō-sou-bé

Le Hyōsube est un yokai velu et lié à l’eau que l’on rencontre un peu partout dans la région de Kyūshū. Tenu pour parent du kappa, ou du moins pour son proche cousin, il passerait des rivières aux montagnes et inversement à l’approche de l’équinoxe. Son nom viendrait de son cri d’oiseau, « hyō-hyō ». Il raffole de l’aubergine, et dans certaines localités l’usage d’offrir la première aubergine de la saison se perpétue encore. Les récits les plus connus le montrent se glissant dans le bain d’une maison pour s’y tremper, laissant ensuite l’eau couverte de poils flottants ; quiconque pose les yeux sur lui, dit-on, tombe brûlant de fièvre.

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同じ九州の河童の仲間に、ひょうすべがいる。毛深く、禿げた頭で、歯をむき出してけたけたと笑うこの妖怪は、肥前(佐賀)を中心としつつ、球磨川流域をふくむ肥後にも分布する。「ヒョーヒョー」と鳥のように鳴くことが名の由来とも語られ、彼岸のころに川と山を行き来する河童的な性質をひょうすべに帰す伝承も多い。茄子を好むため、畑の初茄子をひょうすべに供える風習が伝わった。『北肥戦誌(九州治乱記)』はひょうすべの縁起を記し、その名は古代の渡来神「兵主神(ひょうずしん)」の「ひょうず」に由来するとする説もある。なお「ひょうすべに笑い返すと死ぬ」「見た者は高熱を出す」といった怖い言い伝えは、比較的近年に広まった俗説とみられる。

河童・ガラッパ・山童・ひょうすべ ── これらはばらばらの妖怪ではなく、ひとつの存在が場所と季節で呼び名を変えた姿である。川にいればガラッパ、山に入れば山ん太郎、隣国から流れてくればひょうすべ。同じ一族が地形と暦に応じて名を着替えるというこの発想こそ、源流から海まで多様な水辺を抱える球磨川流域ならではの、河童の呼び名の地図にほかならない。

相良の城下と水神信仰 ── 河童を生んだ土地の祈り

河童たちの故郷を語るうえで、相良七百年の城下町・人吉と、その水神信仰を欠かすことはできない。盆地の中心に流れる球磨川のほとり、人吉市上青井町には、熊本県で初めて国宝に指定された青井阿蘇神社が鎮座する。平安時代の大同元年(八〇六年)に阿蘇神社の三神を勧請して創建されたと伝わり、阿蘇開拓の神・健磐龍命(たけいわたつのみこと)らを祀る。現在の社殿五棟は、初代人吉藩主・相良長毎(さがらながつね)と重臣・相良清兵衛の発起により慶長十五年(一六一〇年)から十八年にかけて造営されたもので、急勾配の茅葺屋根に黒漆と赤漆を併用する人吉球磨独自の意匠を伝える。茅葺の社寺建築が国宝に指定されたのは全国でも初めてのことであった[10]

開拓の守護神を盆地の中心に祀り、急流の球磨川とともに生きてきたこの土地では、水は恵みであると同時に、人を呑む畏怖の対象でもあった。河童とは、その畏怖が結晶した姿である。神社で水の神を祀る祈りと、淵の河童に詫び証文を書かせる伝承とは、同じ水への畏れの裏表だったといえる。八代に建つ「河童渡来之碑」は、捕らえられた河童が「この石がすり減るまでは人や馬に悪さをしない」と誓い、その代わりに毎年の祭を願い出たという伝承を伝える。淵を完全に封じるのではなく、河童と約束を交わして共に生きていく ── ここには、荒ぶる水を排除ではなく取り決めによって鎮めようとする、この流域の作法がにじむ。

球磨川はまた、米の文化の川でもある。盆地の豊かな米は球磨焼酎を生み、その仕込み水と原料を支えたのもこの川の水であった。田を潤す用水のほとりに山ん太郎が下りてきて、稲作の暦とともに山と川を往復する ── 河童が農耕の神の影を帯びていたという柳田の読みは、この米どころの盆地でこそ実感をもって理解できる。

源流の盆地から八代の河口まで、球磨川は性格の異なる水辺をひとつの川に束ね、その全身に河童を棲まわせてきた。九千の河童を率いた王・九千坊がここから流転をはじめ、ガラッパと山ん太郎が暦とともに山河を往き来し、ひょうすべが隣国から流れ込む。九州じゅうに散った河童たちが、その源流をこの一本の川に求める ── 球磨川流域とは、まさしく河童たちの故郷であり、日本の河童文化がもっとも深く根を張った水の国の、その心臓部にほかならないのである。

Tous les yokai de Kuma River Basin4

Liste complète des yokai liés à Kuma River Basin, y compris ceux non traités dans l'article ci-dessus.

  • Kappa

    Kappa

    Légendaire

    KA-pa

    L’esprit fluvial à la coupelle – Kappa

    Esprits des eauxRivières, étangs et marais de tout le Japon

    « Kappa » n’est pas, à vrai dire, le nom d’une créature unique. C’est un terme collectif — le mot par lequel tout le Japon, chaque région dans son propre parler, a désigné les esprits de l’eau qui hantent rivières et étangs. Au sud de Kyushu, c’est le Garappa ; au Tōhoku, le Medochi ; à Shikoku, l’Enko ; au Chūbu, le Kawaranbe ; au Kinki, le Gataro ; à Kyushu encore, le Hyosube. D’un lieu à l’autre, le nom et l’apparence varient un peu, et on en dénombrerait plus de quatre-vingts. Certains tiennent du singe, d’autres sont velus, d’autres encore vont en bande. Mais tous partagent un même noyau : ils vivent près de l’eau, portent de l’eau dans la coupelle de leur tête, et entraînent au fond hommes et chevaux. Le kappa est, en somme, le nom commun d’un vaste clan où se sont rassemblés tous les esprits des eaux du pays. C’est la lecture du folklore qui réunit en un seul ces variantes innombrables. Yanagita Kunio et Orikuchi Shinobu voyaient dans le kappa un dieu qui présidait jadis aux eaux — une divinité des eaux — déchu en yokai à mesure que sa dévotion s’effaçait. Que dans les légendes de komahiki le kappa cherche toujours à tirer un cheval ou un bœuf vers l’eau pourrait bien être le souvenir de fêtes où l’on offrait chevaux et bœufs à une divinité des eaux pour implorer de bonnes récoltes. Dans le Kappa Komahiki Kō (1948), Ishida Eiichirō a comparé ce lien entre le cheval et la divinité des eaux aux mythes de toute l’Eurasie. C’est justement parce qu’il est dieu de l’eau que le kappa amène l’eau aux rizières, dispense le poisson et transmet jusqu’à des remèdes de rebouteux — tout en noyant les hommes et en leur arrachant le shirikodama. Ses deux faces, bienfait et malédiction, sont l’endroit et l’envers d’une divinité des eaux déchue. Les traces de la divinité des eaux affleurent jusque dans le cycle des saisons. Dans tout l’ouest du Japon, on raconte volontiers qu’à l’équinoxe d’automne le kappa monte à la montagne pour devenir un yamawaro, et qu’à l’équinoxe de printemps il redescend à la rivière pour redevenir kappa. Le dieu des champs qui descend des monts vers les villages au printemps, le dieu de la montagne qui regagne les sommets à l’automne — cette idée d’aller et de retour recouvre exactement l’alternance du kappa et du yamawaro. Ainsi les variantes du clan se rejoignent-elles, elles aussi, comme une seule terre continue. Le clan a même sa légende de chef. Sur la rivière Kuma, à Kyushu, survit le récit de Kusenbō, un général kappa qui aurait traversé depuis le continent à la tête de neuf mille des siens. Ayant attiré la colère de Katō Kiyomasa, il fut chassé de la région, gagna la rivière Chikugo et devint l’un des serviteurs du sanctuaire Suitengū, à Kurume. Que le kappa ait été imaginé non comme un monstre solitaire, mais comme un clan reliant rivière à rivière, s’exprime clairement dans cette légende de patriarche. Les lieux liés au kappa parsèment tout le pays. À Tōno, dans l’Iwate, il est une « mare aux kappa » (Kappa-buchi) où ils apparaîtraient, et au temple Jōken-ji, en l’honneur d’un kappa qui éteignit un incendie avec l’eau de sa coupelle, se dressent des « lions gardiens kappa » dont la tête a la forme d’une coupelle. Au lac Ushiku, dans l’Ibaraki, le peintre Ogawa Usen, qui peignit des kappa toute sa vie, fut surnommé « Usen aux kappa », et Tanushimaru, à Fukuoka, se proclame « berceau du clan des kappa ». Dans le quartier de Kappabashi, à Tokyo, une légende rapporte que des kappa de la rivière Sumida venaient chaque nuit aider un marchand qui menait des travaux d’endiguement. Aujourd’hui encore, des fêtes du kappa se tiennent en maints endroits, et le kappa prête son nom à des marques de saké comme à des mascottes de ville — demeurant le plus aimé de tous les yokai aquatiques du Japon.

  • Garappa

    Garappa

    Épique

    Garappa

    Le Dieu de l'Eau déchu du sud de Kyushu

    Yokai aquatiqueBassin du fleuve Sendai (Satsumasendai, Kagoshima) / Bassin du fleuve Kuma (Sud de Kumamoto)

    Comme l'a souligné le folkloriste Kunio Yanagita dans des ouvrages tels que *Yokai Dangi* (Discussions sur les monstres japonais), le Garappa est peut-être l'exemple le plus éclatant parmi toutes les légendes de kappa au Japon d'une « ancienne divinité aquatique qui a dégénéré en yokai au fil du temps ». Leur métamorphose saisonnière — se retirant dans les montagnes en hiver pour devenir des *yamawaro* et retournant dans les rivières au printemps — est l'incarnation même de la rotation cyclique du dieu de la montagne et du dieu des rizières dans la culture traditionnelle de la riziculture. Ils sont souvent craints comme des symboles de catastrophes liées à l'eau, enclins à jouer des tours cruels et coûtant parfois des vies humaines. Pourtant, s'ils sont traités avec le respect qui leur est dû, ils se transforment en « voisins fiables » qui bénissent les pêcheurs avec des prises abondantes et travaillent toute la nuit pour aider aux tâches épuisantes de la plantation du riz. Cette double nature est le cœur même de l'animisme. Comprendre le Garappa nécessite de voir au-delà d'un simple monstre de rivière ; dans l'environnement naturel impitoyable du sud de Kyushu, entouré de montagnes accidentées et de fleuves féroces, le Garappa est une projection du « respect de la nature » des populations locales et de leur « prière pour la coexistence », faisant d'eux une présence indispensable dans la communauté régionale.

  • Kyūsenbō

    Kyūsenbō

    Rare

    kyou-sen-bô

    Le grand chef qui commande les kappa de Kyūshū — Kyūsenbō

    Créatures aquatiquesRivière Kuma, Yatsushiro, Kumamoto → rivière Chikugo, Kurume, Fukuoka (le chef des kappa)

    Cette version examine de près le rang singulier de Kyūsenbō — moins un yokai isolé que le chef de tout le peuple des kappa. Le kappa est par nature un yokai qui change de nom de lieu en lieu, conté dispersé à travers les rivières de chaque région. Parmi eux, Kyūsenbō est dépeint comme la « tête » qui gouverne d’une seule main neuf mille kappa à travers Kyūshū. Cela diffère du tenko du renard — une échelle verticale que gravit un seul renard par l’ascèse. Le siège qu’occupe Kyūsenbō est un commandement horizontal sur de nombreux kappa : en clair, l’autorité d’un général sur une armée. Cette autorité est mise à l’épreuve dans l’affrontement avec Katō Kiyomasa. La bataille unique que transmet le Honchō Zokugenshi reflète d’un coup la force et la faiblesse du kappa. Avec neuf mille familiers en main, il est pourtant vaincu sans recours dès qu’il fait face au singe que le kappa redoute depuis toujours. L’issue se règle non par la force des armes mais par la logique de l’ennemi naturel — et en cela la vraie nature du kappa est mise à nu. Ce qui vient après la défaite, c’est son revirement vers le dieu de l’eau. Le Kyūsenbō qui gagna la rivière Chikugo passa d’un démon qui attaque les hommes à un gardien contre les crues. Son lien de servir Suitengū à Kurume montre que le kappa est un être qui porte les deux sens à la fois — le péril de l’eau et la bienfaisance de l’eau. Le monument au Lieu de l’arrivée du kappa à Yatsushiro, les masques de kappa de Suitengū, et le clan des kappa que fonda Hino Ashihei à l’ère Shōwa — le récit de Kyūsenbō vit encore, de la miscellanée d’Edo à l’animation locale d’aujourd’hui, comme un fil de mémoire que les gens de Kyūshū ont filé de concert avec la rivière.

  • Hyōsube

    Hyōsube

    Peu commun

    hyō-sou-bé

    Hyōsube, le kappa velu des berges de Kyūshū

    Esprit des eauxKyūshū (cousin velu du kappa des rivières de Kyūshū et d’ailleurs)

    Cette version présente le Hyōsube comme une variété proprement kyūshūanaise de kappa, étroitement liée aux interdits du foyer. Là où la plupart des récits de kappa se déroulent au bord des rivières et des fosses profondes, ceux du Hyōsube se poussent à l’intérieur : dans la salle de bain, l’établissement de bains, l’écurie. L’eau dont un Hyōsube velu s’est servi est tenue pour souillée, couverte de poils flottants ; le cheval qui la touche s’effondre, et quiconque la vide sans permission est maudit et perd son cheval. De tels récits se racontent dans toute la région. Quand vider le bain, qui peut s’en servir : ces avertissements sur les manières de la vie quotidienne se disaient sous la forme de la malédiction du Hyōsube. Aux champs, on dit qu’il aime et ravage l’aubergine, et l’on offrait les premières récoltes pour le contenter. Son cri d’oiseau, « hyō-hyō », passe pour l’origine même de son nom. La figure velue, au crâne chauve et comique, dessinée dans le Hyakkai Zukan et le Gazu Hyakki Yagyō de l’époque d’Edo, évoque moins une créature d’épouvante qu’un familier vivant tout près des hommes.

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