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神々図鑑

神道·仏教·道教の正式神格 (記紀の神·七福神·御霊神格化等)

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湯殿山大権現

湯殿山大権現

神格

ゆどのさんだいごんげん

語るなかれ・湯殿山の霊巌の神

神霊・神格山形県

湯殿山大権現は、形を持つ神像ではなく、熱湯を噴き上げる茶褐色の巨大な霊巌そのものを御神体とする点で、日本の山岳信仰の最も古い自然崇拝の姿を今に伝える。出羽三山は羽黒山が現世の幸を、月山が死後の世界を、湯殿山が生まれ変わりの未来を象徴する三山一体の行場とされ、その奥の院たる湯殿山は三山巡りの結節点に据えられた。御神体には社殿も屋根もなく、参拝者は履物を脱ぎ、土と石の混じる参道を素足で踏んで霊巌に登る。山中での見聞を口外してはならぬという厳しい禁忌——「語るなかれ、聞くなかれ」——が今日まで守られ、写真撮影も固く禁じられる。明治の廃仏毀釈で権現号こそ失われ大山祇命らを祀る神社となったが、語らぬ霊巌に手を合わせる信仰そのものは断たれていない。再生と即身成仏を司る、出羽の沈黙の神格である。

万幡豊秋津師比売命

万幡豊秋津師比売命

神格

よろずはたとよあきつしひめのみこと

天孫を織る母神・万幡豊秋津師比売命

神霊・神格三重県

万幡豊秋津師比売命を深く読む鍵は、彼女が「語られない中心」である点にある。『古事記』本文で彼女は、天忍穂耳命と瓊瓊杵命の交替を説明する系譜の中に現れるだけで、言葉を発しない。けれども、天孫降臨の主役が天忍穂耳命から瓊瓊杵命へ移るためには、彼女の存在が不可欠である。天照大御神の御子がそのまま降るのではなく、高木神の女、万幡豊秋津師比売命との間に生まれた御子が降る。この一文によって、天孫は太陽神の直系であると同時に、造化神高御産巣日神の血を受ける者になる。 そのため、彼女の神格は「母」という一語では狭すぎる。天忍穂耳命は、うけひによって天照大御神の子と定められ、葦原中国を治めるべき御子として選ばれる。一方、高木神は葦原中国平定で天照大御神と並んで命令を発し、天上の政治的権威を補強する神である。万幡豊秋津師比売命は、この二つの権威を婚姻と出産によって結び、瓊瓊杵命の身に統合する。彼女は前面で命じる神ではないが、天孫降臨の正統性を成立させる「系譜の機」として働いている。 神名に織物の気配が濃いことも、この役割とよく響き合う。國學院大學の神名データベースは、「万幡」の「ハタ」を織った布のこととし、また「幡」は機織自体を指すとも説明する。布は一本の糸ではない。縦糸と横糸が交差し、反復され、初めて一枚の面になる。万幡豊秋津師比売命の神話上の働きもそれに近い。天照大御神の系譜と高御産巣日神の系譜、天上の命令と地上へ降る豊穣、火明命へ伸びる別系譜と瓊瓊杵命へ続く皇孫系譜を、一枚の布のように重ねる。 名の異伝が多いことは、彼女の像をぼかすだけでなく、むしろ古層の厚みを示している。神名データベースは、『日本書紀』諸伝に栲幡千千姫、万幡姫、天万栲幡千幡姫などの名が見えると整理し、いずれも「幡」を名に持つ点を重視する。栲は楮など布の素材を思わせ、千千は細かく重なるさまを想像させる。万幡と栲幡は完全に同じ由来を持つとは限らないが、天孫の母を「布を成す女性」として捉える感覚は共通している。 また、彼女は天火明命と瓊瓊杵命という二つの流れを同時に生む。『古事記』天孫降臨①では、天火明命。次に、日子番能邇邇芸命、二柱と並べられ、降臨するのは後者である。この順序は、天孫神話が一枚岩ではなく、複数の氏族的記憶や神統を抱え込んでいることを感じさせる。万幡豊秋津師比売命は、その分岐点に置かれているため、彼女を読むことは、天孫降臨神話がどのように複数の系譜をまとめたかを読むことでもある。 彼女が天照信仰と結びつくことも見逃せない。神名データベースは、『皇太神宮儀式帳』に万幡豊秋津姫が天照坐皇太神と同殿に祭られると紹介し、万幡の神を天照大御神の信仰と結び付いた機織りの女神と見る説を掲げる。これは、天孫の母が単に高御産巣日神側の娘としてだけ理解されたのではなく、天照大御神の祭祀空間にも入り込む神であったことを示す。天の岩屋で機織女の死が闇を招いたように、高天原では織物と太陽の秩序が深く結びついている。 椿大神社における祭祀は、この神格を現在の参拝空間へ移している。同社は、主神猿田彦大神を祀り、相殿に瓊々杵尊、栲幡千々姫命を祀ると説明する。猿田彦は天孫降臨の道案内をする神であり、瓊々杵尊は降臨する皇孫である。そのそばに母神が祀られる時、降臨は単なる移動ではなく、母から子へ、天から地へ、布のように受け渡される秩序として見えてくる。万幡豊秋津師比売命は、物語の声量は小さいが、天孫神話の織目そのものを支える神なのである。

雷神

雷神

神格

らいじん

太鼓を打ち雷鳴を起こす神·雷神

神霊・神格賀茂別雷神社 (上賀茂神社、現·京都府京都市北区) / 北野天満宮 (現·京都府京都市上京区、天神信仰) / 雷電神社 (現·群馬県邑楽郡板倉町)

雷神像の決定版は俵屋宗達『風神雷神図屏風』であり、二曲一双の金地屏風に、向かって左の白い雷神 (連太鼓を背に環状に負う) と右の緑の風神 (風袋を担ぐ) を対峙させる。この構図は尾形光琳·酒井抱一ら琳派絵師に忠実に模写され、現在の風神雷神図像の規範となった。雷神が背に巡らせる太鼓は、それを打つことで雷鳴を生むとされ、鬼形·虎皮の褌·鋭い爪という造形とともに、天空の荒ぶる力を可視化したものである。信仰史の上では、雷神は三つの系譜に大別される ── 第一に賀茂別雷大神に代表される古典的雷神 (上賀茂神社)、第二に菅原道真の怨霊を火雷天神とする天神系 (北野天満宮、947 創建)、第三に名に雷を負うが本質は剣神·武神たる建御雷神で、これは雷神と同一視すべきでない。関東では群馬·板倉の雷電神社を総本宮とする雷電信仰が広がり、火雷大神·大雷大神·別雷大神を祀って落雷除け·豊作祈願の対象とした。農耕社会において雷は、田に落ちて稲を実らせる「稲妻 (稲の夫)」として豊穣の予兆でもあり、雷神は天罰を下す畏怖の神であると同時に、雨と実りをもたらす恵みの神でもある両義的な存在として敬われてきた。

龍蛇神

龍蛇神

稀少

りゅうじゃしん

神在祭の先導神使·龍蛇さま

神霊・神格島根県

龍蛇神は、 出雲の神在祭という具体的な祭祀の場で機能する「神使」 として独自の位置を占める。 一般の龍神 (水·雨·海を司る複合的水神) が全国の祈雨·止雨信仰を基層とするのに対し、 龍蛇神はあくまで出雲大社·佐太神社等の神在神事に限定された、 八百万の神の先導役という職能神である。 その実体は信仰上の抽象ではなく、 晩秋に出雲沿岸へ実際に漂着するセグロウミヘビという実在の海蛇であり、 自然現象 (暖海性海蛇の対馬海流による漂着) と神話的時間 (神在月の神来集) が一致する稀有な季節儀礼の核となっている。 漂着個体は大社に奉納され、 出雲大社教の龍蛇神講を通じて火難·水難·盗難除けと招福の神札として庶民に頒たれ、 神使から独立した崇敬対象へと発展した。 海の彼方の常世·異界から来訪する点で、 出雲を他界との通路と見る古代的世界観を体現する。

和久産巣日神

和久産巣日神

神格

わくむすひのかみ

火と尿から穀物を結ぶ若き産霊・和久産巣日神

神霊・神格神話上の神生み

和久産巣日神は、表に立つ食物神ではなく、食物神を生み出す奥の力として読むと姿が見えてくる。『古事記』では、伊耶那美神が火之迦具土神を産んで焼かれ、病み臥したとき、尿から弥都波能売神と和久産巣日神が成る尿から成る和久産巣日神。ここで神は清らかな天空から降りるのではない。火傷、病、尿という、生命の危機と汚れに近い場所から生じる。そのため和久産巣日神の生成力は、最初から土臭く、身体的で、農耕に近い。 「ワク」という名は、若さを帯びている。國學院は、『日本書紀』の「稚」表記を手がかりに、和久を若いの意とし、「ムスヒ」を高御産巣日神・神産巣日神と同じ語とする。ムスヒは、ものを発生させ、結び、成らせる力である。高御産巣日神・神産巣日神が宇宙の初発に近いムスヒなら、和久産巣日神は、伊耶那美神の身体が壊れていく場面に立つ若いムスヒである。創造は完成した秩序からではなく、傷ついた身体の底から再び起動する。 この神が尿から成ることは、単なる奇怪な出生ではない。農耕の目で見ると、尿や糞は肥料となり、水は灌漑となり、火は焼畑や土壌の更新につながる。國學院は、火・肥料・水を受けて若々しい農業生産力が生まれると見る説、また焼畑農法の反映と見る説を紹介している火・肥料・水から生まれる農業生産力。和久産巣日神は、この読みでは、汚れを避ける神ではなく、汚れを作物へ変換する神である。生活の底にある循環を神話化した存在と言える。 『日本書紀』の稚産霊は、その性格をより具体的に示す。軻遇突智と埴山姫の間に稚産霊が生まれ、頭上には蚕と桑が、臍中には五穀が生じる蚕桑と五穀を宿す稚産霊。火神と土神から生まれる点も、農耕的である。焼く火、受け止める土、そこから生じる桑・蚕・五穀。これは保食神や大宜都比売神のような殺害後の死体化生とは違うが、身体の部位に食物や養蚕の源が宿るという神話感覚を共有している。和久産巣日神は、食物起源神話の前段階にある生成力である。 豊宇気毘売神との関係は、和久産巣日神を食物神の系譜へしっかり結びつける。國學院の豊宇気毘売神条目は、彼女を和久産巣日神の子神とし、「宇気」は食物あるいは稲の意と説明する。豊宇気毘売神は後の豊受大神信仰を考える上でも重要な名であり、御饌・食物・稲霊の領域に接続する。和久産巣日神はその親神として、食物そのものではなく、食物を成らせる根の働きを担う。食卓の手前に田があり、田の手前に水と肥料と火があり、そのさらに神話的な奥に和久産巣日神がいる。 この神は、水の読みも引き寄せる。尿から成ること、同じ尿から水神の弥都波能売神が成ること、そして「ワク」が湧くという感覚を連想させることから、温泉や冷泉の湧出をめぐる説もある湧水・温泉との関係。火山活動が火と水を同時に見せるように、神話でも火神誕生の直後に水と生成の神が現れる。火に焼かれた身体から、水と生産力が出る。この反転は、災厄のあとに生活を支える資源が現れるという古い感覚をよく表している。 和久産巣日神を読むうえで、出番の短さは欠点ではない。むしろ、短い記述の中に、火神誕生、伊耶那美神の死、排泄物からの神々、豊宇気毘売神、五穀、蚕桑、焼畑、水、肥料が重なっている。彼は物語の主役として叫ぶ神ではなく、複数の神話を奥で結ぶ神である。保食神や大宜都比売神が「食物は身体や死から出る」と見せるなら、和久産巣日神は「その食物を生む生成力は、汚れの底から若く起こる」と告げる。そこに、若き産霊という名の深さがある。

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