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英彦山ひこさん

英彦山に伝わる妖怪 2 体。その土地に根ざした物語と伝承地を辿ります。

別称: 彦山 / 豊前坊 / 英彦山神宮
  • 天忍穂耳命

    天忍穂耳命

    神格

    あめのおしほみみのみこと

    天浮橋で御子へ使命を渡す太子神・天忍穂耳命

    神霊・神格高天原・うけひ神話 / 英彦山神宮 (現·福岡県田川郡添田町)

    天浮橋で御子へ使命を渡す天忍穂耳命は、「降りなかった」ことによって天孫降臨を成立させる神である。『古事記』うけひでは、天照大御神の玉を須佐之男命が天之真名井で濯ぎ、噛み、吹き出した狭霧から正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命が成る。誕生そのものが、物実、帰属、勝敗をめぐる儀礼の中に置かれている。天忍穂耳命は、最初から「誰の子か」「何を継ぐか」を問われる神である。 天照大御神は五男神を、物実が自分の物であるゆえ吾が子と詔別する。この一節によって、天忍穂耳命は天照の御子として高天原の系譜に入る。だが、名に刻まれた「勝」は、単純な凱旋の印ではない。國學院大學の注釈がうけひの勝利との関係を問題にするように、天忍穂耳命の名は、須佐之男の勝ち誇り、天照の子としての帰属、男神の出現という複数の意味を抱え込む。勝利は明るいだけでなく、帰属の決定を必要とする。 葦原中国平定①で、天忍穂耳命は最初の地上統治候補となる。天照大御神は我が御子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国として、水穂国を言依さす。しかし天忍穂耳命は天浮橋に立ち、地上が「いたくさやぎて」あると見て戻る。ここを臆病な退却として読むと、神話の構造を見落とす。天忍穂耳命は、地上がまだ言向けられていないことを最初に報告する観察者である。 この報告がなければ、葦原中国平定の会議は始まらない。天照大御神と高御産巣日神は天安河に神々を集め、思金神に考えさせ、使者を選ぶ。天忍穂耳命の役割は、乱れた世界へ無理に降りて失敗することではなく、降臨の条件が整っていないことを明らかにすることだった。天浮橋は、高天原と葦原中国の境界であり、そこに立つ天忍穂耳命は、天の命令と地の現実のずれを測る神である。 平定後、天照大御神・高木神は天忍穂耳命へ、今こそ降って治めよと命じる。ここで天忍穂耳命は、降る準備をしている間に御子が生まれたとして、この子を降すべしと申す。これは二度目の退避ではなく、継承の判断である。天忍穂耳命は、自分が降るのではなく、次代の御子に使命を渡すことで、天孫降臨を一段深い系譜の物語へ変える。 その御子が瓊瓊杵命である点は大きい。『古事記』天孫降臨①は、瓊瓊杵命が高木神の女、万幡豊秋津師比売命との間に生まれた御子であると記す。天忍穂耳命は、天照大御神の御子であり、高木神の娘を妻とし、瓊瓊杵命を生む。天照の光、高御産巣日神の生成力、天孫降臨の地上支配が、この一柱の周辺で結び合う。彼は降臨の主役ではないが、主役を生む神である。 英彦山神宮の由緒は、天忍穂耳命を山の信仰へ結び直す。公式ページは、御祭神が天照大神の御子・天忍穂耳命であることから、英彦山が「日の子の山」と呼ばれたと伝える。さらに御神徳では、鷹の姿で東より現れた稲穂の神、農業神とし、農業生産、鉱山、工場の安全、勝運の神として崇敬されるとする。天上の太子神は、山上では稲穂と生産、勝運を守る神となる。 天忍穂耳命の魅力は、英雄的な一撃ではなく、継承の判断にある。勝利の名を持つからこそ、勝つために降る時を誤らない。天浮橋で地上の乱れを見、戻り、平定を促し、最後には御子へ使命を渡す。この神は、行動しないことの意味を知っている。未整備の場へ突入するより、場を整え、次代に任せる。その静かな判断が、天孫降臨という大きな神話を動かしているのである。

  • 天狗

    天狗

    伝説

    てんぐ

    天狗とは何か――類型と図像の総論

    山野の怪愛宕山(京都)・鞍馬山(京都)・比良山(近江/滋賀)・飯縄山(長野)・大山(神奈川)・英彦山(福岡)・白峰(香川)・大峰山(奈良)・比叡山(近江/滋賀)・高野山(和歌山) ─ 諸国の霊山に座す大天狗

    この版は、特定の霊山の一座ではなく、「天狗とは何か」を図像と類型の歴史から徹底して解きほぐす総論である。各座の個別伝承は、それぞれの大天狗の頁に譲る。 天狗の姿は一様ではない。第一の類型は鼻高天狗――赤ら顔に高い鼻、山伏の兜巾と鈴懸をまとい、羽団扇を手に一本歯の高下駄を履く。第二は烏天狗で、鴉のくちばしと翼をもち、剣や金剛杖を執る。第三は木の葉天狗・木っ端天狗と呼ばれる下位の天狗で、力弱く数多い眷属とされる。これらは固定した分類というより、時代と地域による天狗像の幅を映している。 図像は時代とともに変遷した。平安期の天狗はまず鳶(とび)のごとき鳥として観念され、烏天狗の像はその名残をとどめる。長い鼻が際立つのは鎌倉末以降で、『是害房絵巻』には、人に化けていた天狗が鳥の姿へ戻る際に鼻が伸びる場面が描かれる。鼻高の起源については、伎楽面の高鼻の治道(じどう)面に由来するとし、烏天狗を迦楼羅(かるら)面に結ぶ学説があり、長い鼻を鳥の嘴の図像的な遺存とみる見方もあるが、いずれも定説とまでは言いがたい。『日本書紀』で鼻長七咫(しちあた)と描かれる猿田彦神と重ねられ、祭礼の猿田彦役に天狗面を用いる風も生まれた。 天狗の両義性は、仏教の天狗道の観念に根ざす。仏道を学ぶゆえに地獄には堕ちず、邪法を扱うゆえに極楽にも行けない中間の境涯――そこに堕ちるのは慢心した僧とされた。『天狗草紙』はこの観念を七大寺の僧への風刺として描くが、ただし「高慢な僧だけが天狗になる」という単純化には知切光歳も行き過ぎと釘を刺している。魔でありながら、調伏されれば護法に転じ、修験者が『天狗経』を誦せば諸国の天狗を招いて願を叶えるとされた――この護法と魔の振幅こそ天狗の核である。 「八大天狗」という括りの確かな中世典拠は、室町期の謡曲『鞍馬天狗』の詞章にある。大天狗が従える諸国の天狗を「筑紫には彦山の豊前坊、四州には白峰の相模坊、大山の伯耆坊、飯綱の三郎……大峰の前鬼が一党、葛城高間」と地理順に唱え上げるくだりがそれで、八大天狗が江戸の創作ではなく中世の信仰と芸能に根を張っていたことを示す。もっともその構成は資料により揺れ、石鎚山法起坊を加える異伝もあるなど、固定した名簿ではない。